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<判例評釈>在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和4 年5 月25 日)―これまでの最高裁判例の延長線上における位置づけ―

大石, 和彦 筑波大学

2023.07.31

概要

判例評釈

在外国民審査権訴訟大法廷判決
(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

―これまでの最高裁判例の延長線上における位置づけ―

大 石 和 彦
Ⅰ 事案の概要
Ⅱ 判旨
Ⅲ 評釈
  1  本評釈の関心の焦点
  2  本判決における違憲判断
  
(1)
 判断枠組(いわゆる違憲審査基準)
  
(2)
 違憲審査対象―「不作為」なのか?
  
(3)
 
「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をするこ

とは別とし」た部分のゆくえ
  3  本判決における国賠違法判断
  
(1)
 平成 17 年判決および平成 27 年判決との関係
  
(2)
 
「国会にとって」明白となったといえる時点

本稿は、令和 4 年 5 月 25 日に言い渡された「在外国民審査権訴訟」大法廷判
決(以下「本件」または「本判決」という。
)を紹介した上で、若干の検討を
加えるものである。

Ⅰ 事案の概要
国外に居住していて国内の市町村の区域内に住所を有していない日本国民
(以下「在外国民」という。
)である X1(令和 2 年(行ツ)第 255 号被上告人=
(行ヒ)第 290 号上告人=
(行ヒ)第 291 号被上告人=
(行ヒ)第 292 号附帯上告
人)は被告国に対し、主位的に、次回の国民審査において審査権を行使するこ
とができる地位にあることの確認を求め(以下「訴え 1」という。)、予備的に、
被告国が X1 に対して国外に住所を有することをもって次回の国民審査におい
271

判例評釈(大石)

て審査権の行使をさせないことが憲法 15 条 1 項、79 条 2 項、3 項等に違反して
違法であることの確認を求めている(以下「訴え 2」という。)。また、上記 X1
に加え、
平成 29 年 10 月 22 日当時に在外国民であった X2 ∼ X5(令和 2 年(行ヒ)
第 290 号上告人)は被告国に対し、国会において在外国民に審査権の行使を認
める制度(以下「在外審査制度」という。
)を創設する立法措置がとられなかっ
たこと(以下「本件立法不作為」という。
)により、
同日施行された国民審査(以
下「平成 29 年国民審査」という。
)において審査権を行使することができず精
神的苦痛を被ったとして、国家賠償法 1 条 1 項に基づく損害賠償を求めた(以
下「訴え 3」という。


一審(東京地判令和元年 5 月 28 日・ 判時 2420 号 35 頁)および原審(東京高
判令和 2 年 6 月 25 日・ 判時 2460 号 37 頁)とも、国民審査法が在外国民に審査
権の行使を全く認めていないことは憲法 15 条 1 項、79 条 2 項、3 項に違反する
とした。訴え 1 については一審および原審とも不適法として却下したが、訴え
2 については、一審がこれも不適法としたのに対し、原審は X1 の請求を認容
した。訴え 3 については、一審は本件立法不作為は国家賠償法 1 条 1 項に照ら
し違法であるとして請求を一部認容する一方、原審は本件立法不作為が同項に
照らし違法であるとはいえないとして、これを棄却した。

Ⅱ 判旨
1 最高裁判所裁判官国民審査法(以下「国民審査法」という。)が在外国民に
審査権の行使を全く認めていないことは憲法 15 条 1 項、79 条 2 項および同
条 3 項に違反する。
2 
(1) 訴え 1 は、公法上の当事者訴訟のうち公法上の法律関係に関する確認
の訴えと解され、平成 29 年国民審査において審査権を行使することが
できないものとされた X1 が、次回の国民審査に先立ち、審査権を行使
することができる地位を有することを確認することは、その地位の存否
に関する法律上の紛争を解決するために有効適切な手段であると認めら
れる。したがって、現に在外国民である X1 の訴え 1 を不適法とした原
272

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法がある。もっとも現行国民
審査法により在外国民に審査権の行使が認められていると解することは
できないのであるから、同法の解釈に基づいて X1 が次回の国民審査に
おいて審査権を行使することができる地位にあるとする同人の主張は理
由がなく、同訴えは棄却すべきである。
(2)
 現に在外国民である X1 による訴え 2 は、公法上の法律関係に関する
確認の訴えとして適法である。そして、国民審査法が在外国民に審査権
の行使を全く認めていないことは違憲であるから、被告国が X1 に対し
次回の国民審査において審査権を行使させないことは違法である。そう
すると、訴え 2 に係る請求には理由があり、これを認容すべきである。
3 遅くとも平成 29 年国民審査の当時においては、在外審査制度を創設する立
法措置をとることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、
国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠ったものであり、本件立法不
作為は、平成 29 年国民審査の当時において、国家賠償法 1 条 1 項の適用上違
法の評価を受けるべきものであるから、訴え 3 については X1 ∼ X5 に対し各
5000 円およびこれに対する遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その
余を棄却すべきである。

Ⅲ 評釈
1 本評釈の関心の焦点
本稿では、
本判決において論じられた論点の全てを網羅的に扱うのではなく、
上記判旨 1 における論点(国民審査法が在外国民に審査権の行使を全く認めて
いないことが憲法 15 条 1 項、79 条 2 項、3 項に違反するか)と、判旨 2 におけ
る論点(本件立法不作為が国家賠償法 1 条 1 項に照らし違法か)のみに焦点を
絞って検討する。もちろん判旨 2 における論点も重要であるが、これについて
は他の評釈に委ねることにしたい。
以下本稿では、上記 2 論点につき、専ら、これまでの最高裁判例の延長線上
でどのように位置づけられるべきか、という観点から検証してゆく。これまで
273

判例評釈(大石)

の最高裁判例とは、具体的には下記①∼③である。
① ‌在 宅投票制度廃止訴訟上告審判決:最一小判昭和 60 年 11 月 21 日・ 民集
39 巻 7 号 1512 頁(以下「昭和 60 年判決」という。)
② ‌在外国民選挙権訴訟上告審判決:最大判平成 17 年 9 月 14 日・ 民集 59 巻 7
号 2087 頁(以下「平成 17 年判決」という。

③ ‌再 婚禁止期間一部違憲判決:最大判平成 27 年 12 月 16 日・ 民集 69 巻 8 号
2427 頁(以下「平成 27 年判決」という。

本判決のうち上掲判旨 1 に対応する部分は、私にとって平成 17 年判決の延
長上で十分予測可能なものであったが、判旨 3 が国賠請求を一部認容したこと
は若干意外であった。その理由は、それぞれ以下 2 および 3 で述べる。
2 本判決における違憲判断
(1) 判断枠組(いわゆる違憲審査基準)
本判決が、上掲判旨 1 の結論に至る過程で用いた判断枠組(いわゆる違憲審
査基準)は、以下のようなものである。
「…国民の審査権又はその行使を制限することは原則として許されず、審査権
又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ない
と認められる事由がなければならないというべきである。そして、そのような
制限をすることなしには国民審査の公正を確保しつつ審査権の行使を認めるこ
とが事実上不可能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記
のやむを得ない事由があるとはいえず、このような事由なしに審査権の行使を
制限することは、憲法 15 条 1 項、79 条 2 項、3 項に違反するといわざるを得ない。
また、このことは、国が審査権の行使を可能にするための所要の立法措置をと
らないという不作為によって国民が審査権を行使することができない場合につ
いても、同様である。

274

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

これは、平成 17 年判決の以下部分と同様の「厳格な違憲審査基準」1)である
と考えられる。
「…国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、国民の
選挙権又はその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを
得ないと認められる事由がなければならないというべきである。そして、その
ような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認める
ことが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記
のやむを得ない事由があるとはいえず、このような事由なしに国民の選挙権の
行使を制限することは、憲法 15 条 1 項及び 3 項、43 条 1 項並びに 44 条ただし
書に違反するといわざるを得ない。また、このことは、国が国民の選挙権の行
使を可能にするための所要の措置を執らないという不作為によって国民が選挙
権を行使することができない場合についても、同様である。」
衆院旧「中選挙区制」の下での投票価値の較差をめぐる最大判昭和 51 年 4
月 14 日・ 民集 30 巻 3 号 223 頁(以下、
「昭和 51 年判決」という。)以来、最高
裁は、選挙制度の合憲性をめぐる事案において、選挙制度の具体化をめぐる国
会の裁量権に依拠した議論を基調としてきた。もちろん、立法裁量論に立つこ
とが必ずしも合憲判決へと直結するわけではないことは、昭和 51 年判決が当
時の公選法別表 1 を違憲と判断したことからも明らかである。とはいえ現行衆
院議員選挙における重複立候補制(最大判平成 11 年 11 月 10 日・ 民集 53 巻 8
号 1577 頁)
、小選挙区制(上掲平成 11 年判決)
、衆議院議員選挙および参議院
議員選挙に採用されている比例代表制(衆議院比例代表選出議員選挙につき最
大判平成 11 年 11 月 10 日・ 民集 53 巻 8 号 1577 頁、参議院比例代表選出議員選
挙につき最大判平成 16 年 1 月 14 日・ 民集 58 巻 1 号 1 頁)の合憲性が争われた
事案において、最高裁は同様の立法裁量論に依拠しつつ、ことごとく合憲判断
1) 『最高裁判所判例解説 民事

平成 17 年度(下)』635 頁[杉原則彦]。

275

判例評釈(大石)

を下してきた。
上記のような文脈の中、同じく選挙制度の合憲性をめぐる事案であるはずの
平成 17 年判決が、国会の「裁量」という言葉を法廷意見の中で一言も用いる
ことなく「厳格な違憲審査基準」を適用した理由が問われなければならない。
これに関する可能な一つの説明は、立法裁量論に立つ上掲諸判例がいずれも選
挙権の不十分保障問題に関するものであるのに対し、平成 17 年判決の対象は、
在外国民に対する選挙権ゼロ保障問題であったという対照性に依拠するもので
あろう 2)。もちろん、このように解した場合、当時の郵便法 68 条および 73 条が、
郵便業務従事者の不法行為に基づく国の損害賠償責任を制限(不十分保障)す
るのみならず免除(ゼロ保障)している点についても部分違憲と判断した、い
わゆる郵便法違憲判決(最大判平成 14 年 9 月 11 日・ 民集 56 巻 7 号 1439 頁)が
立法裁量論を前提とし、それに明示的に言及した判断を下したことが、平成
2)

私はかつて、この対照性を表す言葉として、
「過少保障(過少代表)」と「ゼロ保障(ゼ

ロ代表)」という言葉を用いたことがあるが(大石和彦「立法不作為に対する違憲審査」
白鷗法学 14 巻 1 号〔2007〕171 頁以下[175 頁])、本稿本文でいう「不十分保障」と「過少
保障」に特段意味の違いはない。
  なお、この点(不十分保障か、全くのゼロ保障かの違い)により立法裁量論と厳格審査
とを使い分けるのが平成 17 年判決の立場と解した場合には、重度身体障害者に対する選挙
権ゼロ保障問題を対象とする事案であったはずの昭和 60 年判決が原告の請求を退ける理由
の一つとして昭和 51 年判決に言及しつつ、憲法「47 条は…選挙に関する事項の具体的決
定を原則として立法府である国会の裁量的権限に任せる趣旨である」と述べていた部分は、
平成 17 年判決を境に、実質的に変更されたと解すべきことになる(『憲法判例百選Ⅱ(第
7 版)』〔別ジュリ 246 号 2019〕415 頁[大石和彦])。
  もちろん、上記区別論による切り分けが困難なケースも想定される。帰化により日本国
籍を取得したものの、公職選挙法 21 条 1 項の 3 か月記録要件を満たさないとして選挙人名
簿へ登録がされず、選挙権を行使できなかった(が、3 か月記録要件を満たした以後は選
挙権が完全保障されるに至る)原告による国家賠償請求につき、同項を合憲と判断した一
審(東京地判平成 24 年 1 月 20 日・判時 2192 号 38 頁)が判断枠組自体は平成 17 年判決の厳
格審査を適用したのに対し、控訴審(東京高判平成 25 年 2 月 19 日・ 判時 2192 号 30 頁)は
これを国会の裁量を逸脱したものと断ずることができないため合憲としたのは、その例で
あろう。憲法上の権利に対する制約とはいっても期限付きである点では再婚禁止期間(民
法 733 条 1 項)も同様である。

276

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

17 年判決法廷意見が立法裁量に一言も言及することなく厳格審査により憲法
判断した理由を上記とおり不十分保障とゼロ保障の違いに求めることと矛盾し
ないのかが、今度は問われざるを得ないであろう。もっとも、これについては、
当該権利の重要性という、不十分保障かゼロ保障かという問題軸とは別の視点
を導入すれば足りるであろう。公務員の不法行為に基づく国家賠償請求権は、
いうまでもなく債権の一つであり、
したがって財産権の一つである(ちなみに、
仮に事件当時、郵政事業の主体が国ではなく現在のように民間会社であったな
ら、同事件は憲法 17 条ではなく 29 条関係事案になっていたであろうし、当時
の郵便業務従事者の雇用主である国に対し不法行為責任ではなく債務不履行責
任が問われていたなら、これまた同事件は憲法 17 条ではなく 29 条関係事案に
なっていたであろう。

。これに対し選挙権は民主政が正常機能するためのイン
フラとなる重要な権利であり、各事案における憲法上の権利の重要度の違いか
ら、国の賠償責任の制限(不十分保障)のみならず免除(ゼロ保障)の合憲性
についても裁量論ベースの判断を行った郵便法違憲判決と、厳格審査を行った
平成 17 年判決の違いを説明することが可能であるように思われる。
こうした従前の判例(をめぐる本稿筆者の解釈)の延長線上で見た場合、
「審
査権が国民主権の原理に基づき憲法に明記された主権者の権能の一内容である
点において選挙権と同様の性質を有すること」に注目した本判決が、その審査
権につき国民審査法が在外国民に審査権の行使を全く認めていないこと(ゼロ
保障状態)につき厳格審査を適用したことは、
至極自然な成り行きと思われる。
(2)
 違憲審査対象―「不作為」なのか?
立法の内容の違憲性の問題と、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。

が国賠法 1 条 1 項の適用上違法かどうかの問題との間の区別論は、昭和 60 年判
決で初めて示されたが、この点は、本判決を含め、これまでの一連の最高裁判
例において振れることなく、
一貫して維持されてきたところである。もっとも、
この区別論を再確認するに当たり、平成 17 年判決は、
「立法の内容」の後にも
「又は立法不作為」という文言を書き加えたため、以下引用のとおり、区別さ
277

判例評釈(大石)

れるべきはずの両者(
「国会議員の立法行為又は立法不作為」と「立法の内容
又は立法不作為」
)に「立法不作為」という共通項が含まれることとなった。
「…国会議員の立法行為又は立法不作為が同項の適用上違法となるかどうかは、
国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務
に違背したかどうかの問題であって、当該立法の内容又は立法不作為の違憲性
の問題とは区別されるべきであり、仮に当該立法の内容又は立法不作為が憲法
の規定に違反するものであるとしても、そのゆえに国会議員の立法行為又は立
法不作為が直ちに違法の評価を受けるものではない。」
平成 27 年判決および本判決では、
「立法の内容」の後に平成 17 年判決が挿
入した「又は立法不作為」の部分は削除されたが、本判決では、平成 17 年判
決の上掲引用部分にあった「また、このことは、国が国民の選挙権の行使を可
能にするための所要の措置を執らないという不作為によって国民が選挙権を行
使することができない場合についても、同様である」との一文を、ほぼそのま
ま取り入れたため、再び(立法)不作為が判旨 1 対応部分においては立法の内
容と同じく違憲審査対象となる一方、判旨 3 対応部分においては国賠法の適用
上違法か否かの判断対象ともなっている。
「料理」や「彫刻」という言葉が、それを作る作業(過程)と、その作業の
産物の両方を指すように、
「立法」

「契約」

「法律行為」

「処分」といった用
語も、過程と産物の両方を指すことがある。そういう用語法が許されるのであ
れば、同じように「立法不作為」という言葉で、
必要な立法行為を怠ること(過
程)と、その産物としての必要な法規定の不存在状態の両方を呼んで何が悪い
のかと思われるかもしれない。だが、
「料理」や「彫刻」の場合、過程と産物
の両方とも現実世界の事象であるのに対し、法的議論に登場する上記の各用語
の場合は、産物を創出する過程はやはり現実世界の事象である一方、産物の方
はその社会の住人の頭の中の約束事(観念的事象)に過ぎないという違いがあ
る。では、同じ用語を用いるにしても、2 つのうちどちらの意味で用いられて
278

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

いるかに留意すれば足りるではないかと思われるかもしれない。だが、とりわ
け「立法不作為」の場合は、過程としての立法行為の懈怠と、産物としての必
要な法規定の不存在とが、きれいな形で一対一対応するわけではない。確かに
本件のように、制度創設のための法改正の不作為(過程)が制度具体化規定の
不存在(産物)を帰結するケースもある一方、熊本ハンセン病訴訟(熊本地判
平成 13 年 5 月 11 日・ 判時 1748 号 30 頁)のように法律改廃の不作為が違憲の
法律が存在する状態の継続を帰結するケースもある。さらに昭和 60 年最判の
うち制度廃止(作為)の違法性を争う部分は、制度具体化規定の削除という作
為が制度具体化規定の不存在を帰結したケースだからだ 3)。
こうしたことを踏まえると、過程(国賠違法判断対象)としての「立法不作
為」ではなく、立法の内容上の瑕疵の一つとしての、必要な法規定の不存在の
両方とも(後者も含め)

(立法)
「不作為」と呼ぶのではなく、両者をそれぞ
れ別の言葉で(さしあたり卑見では、後者は(立法)「不存在」と)呼ぶ方が、
無用な混乱がなくて済むように思われる。この分野の最高裁判例を貫く、立法
内容(産物)の違憲問題と、
立法行為(過程)の国賠違法問題との間の「区別」
論からしても、前者に登場する言葉と後者に登場する言葉を区別する方が良い
のではないか。
ところで平成 17 年判決が上掲引用部分に「また、このことは、国が国民の
選挙権の行使を可能にするための所要の措置を執らないという不作為によって
国民が選挙権を行使することができない場合についても、同様である」との一
文を加えた理由は、そこでの違憲審査対象を、在外投票制度を創設した平成
10 年公選法改正前の同法が、在外国民の投票を全く認めていなかったこと(権
利具体化法の不存在)と、同改正により同法に置かれた附則 8 項の規定のうち
在外選挙制度の対象となる選挙を当分の間両議院の比例代表選出議員の選挙に
3) 「過程と産物の両義性」問題、および立法府の不作為がもたらす産物が必要な立法の不
存在のみにとどまらないこと、また必要な法規定の不存在をもたらす原因行為(過程)も
立法府の不作為のみではないことについては『憲法判例百選Ⅱ(第 7 版)』
(前掲・ 注 2)
415 頁[大石和彦]。

279

判例評釈(大石)

限定する部分(存在している権利制限規定)の 2 つであると捉えた上、前者を
意識したためと考えられる。本件においては原審が、在外国民の審査権の行使
を一切認めずこれを制限している最高裁判所裁判官国民審査法(存在している
権利制限規定)を違憲判断対象としたのに対し、本件上告審判決は最高裁判所
裁判官国民審査法が在外国民に審査権の行使を全く認めていないこと(権利具
体化法の不存在)を対象に違憲判断を行っている。こうした、原審とは異なり、
存在している権利制限規定ではなく、権利具体化法の不存在が違憲審査対象で
あるという本判決の基本認識からすれば、本件は平成 17 年判決のうち平成 10
年公選法改正以前の状態に近いものであり、本判決上掲引用部に「また、この
ことは、国が審査権の行使を可能にするための所要の立法措置をとらないとい
う不作為によって国民が審査権を行使することができない場合についても、同
様である」との、平成 17 年判決とほぼ同じ一文が加えられているのも、最高
裁の上記のような基本認識から発したものであろう。
(3)
 
「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限
をすることは別とし」た部分のゆくえ
平成 17 年判決の上掲引用部分には、
「自ら選挙の公正を害する行為をした者
等の選挙権について一定の制限をすることは別として」とする部分があったが、
この部分は本判決では、なぜか消失している。
この部分が本判決においては消失したことを、平成 17 年判決の延長線上で
理解することは困難である。本判決が平成 17 年判決と同様の厳格な違憲審査
基準を用いた理由として、
「審査権が国民主権の原理に基づき憲法に明記され
た主権者の権能の一内容である点において選挙権と同様の性質を有すること」
を強調していることが、その理由の一つである。さらに、
「国民審査に関する
犯罪により禁錮以上の刑に処せられその刑の執行猶予中の者」は公選法 11 条 1
項 5 号により、選挙権を失う一方、国民審査法 4 条も「衆議院議員の選挙権を
有する者は、審査権を有する」
(つまり、選挙犯罪を行ったため公選法 252 条
により公民権停止されている間の者を含め、選挙権を有しない者は審査権をも
280

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

有しない)としており、要するにこの点、公選法と国民審査法は相互乗り入れ
しているのであるのであるから、平成 17 年判決において選挙権について語ら
れた上記部分が、審査権について語る本判決にだけない理由は、よくわからな
い。
平成 17 年判決に上掲部分が挿入された理由としては、選挙犯罪を行った者
に対する一定期間の公民権停止が厳格審査に耐えられない可能性を視野に、同
条を違憲判断の危険から逃がすためであるとの理解、さらにはそれが一定期間
の制約に過ぎないため、厳格審査を課す必要がないと考えたとの理解も、不可
能ではないかもしれない。だが、同判決において適用された厳格審査とは、一
定範囲の者の選挙権を制約するという手段と、選挙の公正の確保という目的の
実現との間に、事実次元での強度の因果関係を要求するものであるところ、選
挙犯罪を行った者に対する公民権停止の正当化根拠として最高裁が考えるもの
が、そもそも手段と目的との間の事実上の因果関係の有無を問う思考とは異質
のものである可能性も、視野に入れてよいのではないか。例えば、当時の婚外
子法定相続分規定(民法 900 条 4 号但書)を合憲とした最大決平成 7 年 7 月 5 日・
民集 49 巻 7 号 1789 頁はおける可部裁判官反対意見は、次のように述べている。
「今ここで論ぜられているのは、この両者の扱いを必ずしも同等にしない(相
続分に差等を設ける)ことが、
果たして法律婚を促進することになるかという、
いうなれば安易な目的・効果論の検証ではなく、およそ法律婚主義を採る以上、
婚内子と婚外子との間に少なくとも相続分について差等を生ずることがあるの
は、いわば法律婚主義の論理的帰結ともいうべき側面をもつということなので
ある。

ここで「目的・ 効果論の検証」
(事実上の因果関係の有無を問う思考)と対
置されているのは、法の基本ポリシー(法律婚主義)と、婚内子と婚外子との
間の相続分の差異の発生との間に、後者が前者の「論理的帰結」という、事実
上の因果関係とは異なる、むしろ規範的な次元での関係があるかどうかという
281

判例評釈(大石)

思考である。これを選挙犯罪者の公民権停止に適用すれば、彼らに対する公民
権停止は、選挙における公明性や適正性の確保という法の基本ポリシー(公選
法 1 条)の、規範的次元の「論理的帰結」だということになる 4)。
いずれにせよ、平成 17 年判決の「自ら選挙の公正を害する行為をした者等
の選挙権について一定の制限をすることは別として」とする部分のゆくえの解
明は、今後残された課題である。
3 本判決における国賠違法判断
(1) 平成 17 年判決および平成 27 年判決との関係
「立法の内容の違憲性の問題」と、そのような違憲の内容を持つ法律の改廃
を怠る立法府の不作為が国家賠償法 1 条 1 項の適用上違法となるかどうかの問
題とは区別すべきであり、法律上の規定が前者の観点からたとえ違憲であると
しても、そうした違憲の法律を改廃しない立法不作為が同項の適用上違法と評
価されるのはあくまで「例外」的ケースに限られるとの立場は、昭和 60 年判
決において初めて示されて以来、最高裁判例が一貫して維持してきたところで
ある。もっとも、立法不作為が同項の適用上違法と評価される「例外」的ケー
スはどのような場合なのかにつき、これまで最高裁の各判例が用いてきた表現
には、下記のような推移も見られるところである。
「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえ
て当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合」
(昭
和 60 年判決)
「国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措
置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が

4)

これら 2 つの思考法の違いについては大石和彦「婚外子法定相続分規定違憲決定」公法

研究 77 号(2015)107 頁。

282

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合など」(平成 17 年判決)
「法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由な
く制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにも
かかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠
る場合など」
(平成 27 年判決)
特に昭和 60 年判決と平成 17 年判決との間の違いについては、前者が原告の
損害賠償請求を全面的に退けたのに対し、後者が一部認容したという結論その
ものの違いもあって、判例の実質的な一部変更だとする見方もある。また、平
成 27 年判決の上掲部分につき千葉勝美裁判官補足意見は、
「従前の当審の判断
をも包摂するものとして、
一般論的な判断基準を整理して示したもの」とする。
こうした千葉裁判官補足意見の見方が、学者が論文を書く際とは異なり、裁判
所の判決では、法理を必要以上に一般化した形で示すことに慎重にならざるを
得ない事情を強調している退官後の彼自身の論稿 5)といかなる関係に立つのか
も、興味が惹かれる点であるが 6)、その点はおくとして、昭和 60 年判決の「ご
とき」
、平成 17 年判決の「など」という、そこで語られている「場合」が、あ
くまで例示に過ぎないことを示すと思しき文言が平成 27 年判決の上掲引用部
末尾にも含まれていることからすれば、平成 27 年判決の上掲部分は、昭和 60
年判決および平成 17 年判決の上掲部分と同じく、あくまで立法不作為が国家
賠償法上違法となる例外的場合の例示にすぎないと見るべきように思われる。
このように各判例の上掲各部分を例示と見た場合、平成 17 年判決および平
成 27 年判決との間の表現の違い、すなわち、前者の「国民に憲法上保障され
ている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可
5)

千葉勝美『憲法判例と裁判官の視線』(有斐閣 2019)16 頁。

6)

この点については渡辺康行「最高裁裁判官と『司法部の立ち位置』―千葉勝美裁判

官の違憲審査観」工藤達朗他編『戸波江二先生古稀記念 憲法学の創造的展開 下巻』(信山
社 2017)563 頁以下[578 頁]。

283

判例評釈(大石)

欠であり」の部分が後者では消失していること、および「制約」という前者に
は見られなかった文言が後者に現れていることを、どのように理解すべきか。
平成 17 年判決のうち平成 10 年公職選挙法改正前の在外投票制度不存在状態を
対象とした部分では、授益的(権利具体化)法令の不存在が問題とされたのに
対し、平成 27 年判決は権利「制約」法令の存在が問題とされていたという、
両事案の違いに帰着しうるのではないか 7)。権利「制約」法令の存在が問題と
なるケースとしては、熊本ハンセン病訴訟のように自由権制約立法(
「らい予
防法」はそれに当たる)の改廃不作為をめぐる事案が、まずは考えられるが、
さらに、権利制限的でない制度具体化法が現行法上のベース(一般法)として
存在するにもかかわらず、それ(いったんは一般法により具体化された権利)
にあえて制約を加える特別法の合憲性およびその改廃不作為の国賠法上の違法
性が問題となる事案も想定される。平成 27 年判決の他、平成 17 年判決におけ
る違憲審査対象のうち平成 10 年公選法改正以後の状況も後者のケース(再婚
の自由または在外選挙権に対し、あえて前婚解消後 3 か月以内の女性のみに制
約を加える民法 733 条 1 項の当時規定または衆院小選挙区選出議員選挙および
参院選挙区選出議員選挙のみ在外投票を認めない当時の附則 8 項は、そうした
特別法の例)と考えられる。これに対し、平成 17 年判決における違憲審査対
象のうち平成 10 年公選法改正以前の問題は、同判決に理解によれば、先に本
稿でも確認したとおり、授益的(権利具体化)規定の不存在をめぐるものであ
り、同判決の上掲引用部分において示された判断枠組の適用対象も、平成 10
年公選法改正以降、在外選挙権を制約してきた附則 8 項ではなく、専ら平成 10
年公選法改正以前の授益的(権利具体化)規定の不存在状態を放置してきた国
会の不作為であることは、同判決の以下部分を見れば明らかである。
「在外国民であった上告人らも国政選挙において投票をする機会を与えられる
ことを憲法上保障されていたのであり、この権利行使の機会を確保するために

7)

大石和彦(本件一審評釈)新・判例解説 Watch vol.26(2020 年 4 月)31 頁以下。

284

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

は、在外選挙制度を設けるなどの立法措置を執ることが必要不可欠であったに
もかかわらず、前記事実関係によれば、昭和 59 年に在外国民の投票を可能に
するための法律案が閣議決定されて国会に提出されたものの、同法律案が廃案
となった後本件選挙の実施に至るまで 10 年以上の長きにわたって何らの立法
措置も執られなかったのであるから、このような著しい不作為は上記の例外的
な場合に当たり、このような場合においては、過失の存在を否定することはで
きない。

そこでは、平成 10 年公選法改正前後のうち、専らそれ以前の時期、具体的
には、在外国民の投票を可能にするための法律案が閣議決定され国会に提出さ
れた昭和 59 年(国会提出は同年 4 月 27 日)から「本件選挙」が実施された平
成 8 年 10 月 20 日までの期間のみしか対象とされてはいない。つまり、平成 17
年判決が示した上掲の「例外」該当要件に関する表現は、同判決における違憲
審査対象のうち、専ら平成 10 年公選法改正前の状態を意識したものであって、
同判決における違憲審査対象のうち平成 10 年公選法改正以後の状態は、むし
ろ平成 27 年判決の「例外」該当要件に関する表現に馴染むもの(ではあるが、
実際には平成 17 年判決は、平成 10 年公選法改正以後の附則 8 項により在外選
挙権が侵害されていた状態につき国賠法の適用上違法といえるかどぅかについ
ては判断を示さなかった)ということになる 8)。
本判決は、立法不作為が国家賠償法上違法となる例外的場合につき、
「法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由な
く制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにも
8)

渋谷秀樹「時論 在外国民は最高裁判所裁判官国民審査において審査権を行使できる

か―2019(令和元)年 5 月 28 日東京地方裁判所判決をめぐって」ジュリ 1538 号(2019)
58 頁は平成 17 年判決につき、附則 8 項を改正しなかった立法不作為が国家賠償法上違法に
当たるとしたものとして紹介するが、本文で述べた点に鑑み、疑問がある。

285

判例評釈(大石)

かかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠
る場合など」
としたところまでは平成 27 年判決の表現と共通するが、その直後、
「国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するための立法措置をと
ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な
理由なく長期にわたってこれを怠るときは、上記の例外的な場合に当たる」
と述べる部分は、むしろ平成 17 年判決と共通しており、
「国民に憲法上保障さ
れている権利行使の機会を確保するための立法措置をとることが必要不可欠」
かどうかを含め判断している。これは、本判決が国民審査法の下、在外国民が
審査権を行使できないという問題を、平成 17 年判決のうち平成 10 年公選法改
正以前の状態に関する判示部分と同様、権利具体化法の不存在によるものと理
解したことを示すと考えられる。
本判決が、平成 17 年判決の表現と共通する部分のみならず、まずはその前
に平成 27 年判決の表現と共通する部分を置いた事実は、確かに平成 27 年判決
の上掲判示部分を「一般論的な判断基準」と解する千葉裁判官補足意見の上記
立場を補強するものといっていえなくはないのかもしれない。もっとも、結局
は本判決が本件事案に当てはめたのは、
「国民に憲法上保障されている権利行
使の機会を確保するための立法措置をとることが必要不可欠」かどうかを含め
平成 17 年判決が示した判断枠組であったのも事実であって、国賠法の適用上
違法か否かの判断に当たって適用されるべき枠組は、事例類型ごとに使い分け
をせざるを得ないことを示しているようにも思われる。
(2) 「国会にとって」明白となったといえる時点
平成 17 年判決にも、平成 27 年判決にも、さらには本判決にも共通に見られ
る要素として「明白」という要件があるが、これは誰にとって「明白」でなく
286

在外国民審査権訴訟大法廷判決(最大判令和 4 年 5 月 25 日)

てはならないということなのか。この点、平成 17 年判決がどのように考えて
いるのかは必ずしも判然としないが、平成 27 年判決は、最三小判平成 7 年 12
月 5 日・ 判時 1563 号 81 頁が、国会が民法 733 条を改廃しなかったことにつき
直ちにその立法不作為が違法となる例外的な場合に当たると解する余地のない
ことは明らかであるとの判断を示していたことなどを踏まえ、上告人(原告)
が再婚した当時、再婚禁止期間のうち 100 日超過部分が憲法 14 条 1 項及び 24
条 2 項に違反するものとなっていたことが、
「国会にとって明白」であったと
いうことは困難であるとして、当該立法不作為が国家賠償法上違法とはいえな
いとした。
平成 17 年判決が「長期」の起点として着目していると思われるのは、
「昭和
59 年に在外国民の投票を可能にするための法律案が閣議決定されて国会に提
出された」時点である。同判決には、
「既に昭和 59 年の時点で、選挙の執行に
ついて責任を負う内閣がその解決が可能であることを前提に上記の法律案を国
会に提出していることを考慮」すべきと述べた部分があり、そこで着目されて
いるのは、国会(議員)の認識ではなく内閣の認識であるものの、この部分は
あくまで平成 10 年公選法改正による在外投票制度創設前の段階での「不作為」
が憲法 15 条 1 項等に違反するかどうかを検討する過程で述べられたものであ
り、当時の立法不作為が国賠法 1 条 1 項の適用上違法かどうかをめぐって述べ
られたものではない。そもそも国会議員にとってとりわけ高い関心対象である
はずの公選法改正案につき閣議決定がなされ国会に提出された以上、昭和 59
年当時の国会議員の中にこれにつき知らない者がいたとは想定し難いところで
あろう。
これに対し本判決が「明白」要件との関係で言及する国会を舞台とした動き
としては、
「国会においては、在外選挙制度を創設する平成 10 年公選法改正に
係る法律案に関連して在外審査制度についての質疑がされている」点があげら
れるのみであって、本判決に至るまで、在外審査制度の創設に係る法律案が国
会に提出されたことはない。また、そこにいう「国会」における質疑とは、在
外選挙制度を創設した平成 10 年公選法改正に向けての参院地方行政警察委員
287

判例評釈(大石)

会における議論の途上での質疑であるため、それがなされたことをもって在外
審査制度の創設が喫緊の課題であることが当時の国会議員全員にとって明白で
あったとはいい難いように思われる。そうであるにもかかわらず本判決は、
「平
成 17 年大法廷判決により在外国民に対する選挙権の制約に係る憲法適合性に
ついて判断が示され、これを受けて、平成 18 年公選法改正により在外選挙制
度の対象が広げられ」たこと、さらに「平成 19 年には、憲法に明記された主
権者の権能の一内容である点において審査権と同様の性質を有する国民投票の
投票権について、在外国民にその行使を認める国民投票法も制定されるに至っ
ている」といった、あくまで周辺的な事情をも援用し、本件立法不作為が国賠
法の適用上違法との結論へと至っている。本判決のこうした結論自体の当否は
さておき、何をもって「国会にとって明白」となったものと判断し得るのかに
ついては、今後さらに詰められなければならない課題として残されているよう
に思われる。
(おおいし・かずひこ 筑波大学ビジネスサイエンス系教授)

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