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<論説>双方可罰性の原則と罪刑法定主義

渡邊, 卓也 筑波大学

2023.07.31

概要

論 説

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

渡 邊 卓 也
Ⅰ 問題の所在
Ⅱ 法律主義とその例外
 1 法律主義の趣旨
 2 法律主義の例外
Ⅲ 域外適用の正当化
 1 正当化の論理
 2 比較の基準
Ⅳ 結語

Ⅰ 問題の所在
本稿では、刑法に双方可罰性の原則を導入した場合の、罪刑法定主義との抵
触問題について検討する。国境を越える犯罪については、国内犯処罰規定の国
外への適用拡大や、国外犯処罰規定の新設ないし対象犯罪の拡大による対処が
求められる(以下、これらを併せて「刑法の域外適用」という)
。しかし、別
稿において検討したように 1)、刑法の域外適用は、適用を及ぼされる者の納得
を得られない可能性がある。すなわち、それは、一方では、適用される規範の
民主的正統性に疑いがあるという意味で、罪刑法定主義の民主主義的要請に関
係し、他方では、当該規範を意識していない者に不意打ち的処罰をもたらしか
ねないという意味で、罪刑法定主義の自由主義的要請に関係する。

1)

渡邊卓也「刑法の域外適用と罪刑法定主義」『公法・ 人権理論の再構成 後藤光男先生古

稀祝賀』
(成文堂、2021 年)223 頁以下参照。

93

論説(渡邊)

このうち本稿では、民主主義的要請との関係で、罪刑法定主義との抵触問題
について検討する。刑法の域外適用は、犯罪地国における民主的決定を経てい
ないという意味で、罪刑法定主義に反するように思われる。例えば、ドイツで
ドイツ人が日本人を殺害した場合には、消極的属人主義に基づく規定(刑法 3
条の 2)によって殺人罪(刑法 199 条)の適用を認め得るところ、その正統性
が問われる。確かに、ドイツにも殺人を処罰する規定は存在し(ドイツ刑法
211 条、212 条)
、それはドイツ国民の代表によって法定されている。しかし、
ここでは、犯罪地国であるドイツではなく、日本の刑法が適用されるのであっ
て、当該規定は、ドイツにおける民主的決定を経ていない。
この問題は、双方可罰性の原則を導入することで、解決し得るように思われ
る。同原則の導入により、自国の処罰規定と犯罪地国の処罰規定とを比較する
作業を通じて、
犯罪地国の代表による民主的決定を経たことを担保し得るから、
民主主義的要請との関係で、罪刑法定主義との抵触を回避可能となろう。もっ
とも、その具体化としての法律主義が憲法上の要請であるとすれば、このよう
な解決が憲法に反しないかを慎重に検討する必要があろう。すなわち、この場
合にも自国の「法律」が適用される以上、形式的には、法律主義に反しないと
しても、その内容が犯罪地国の処罰規定によって制約されるのであれば、実質
的には、法律主義に反するともいえるからである。
そこで以下では、まず、法律主義が如何なる趣旨で要請され、また、その例
外とされる諸制度が如何なる根拠で許容されているのかを確認する。次に、そ
の根拠に照らして、双方可罰性の原則により域外適用を正当化し得るかを論じ
る。以上を通じて、刑法の域外適用と罪刑法定主義との抵触問題について、さ
らなる検討を加えることとする。

Ⅱ 法律主義とその例外
1  法律主義の趣旨
罪刑法定主義とは、如何なる行為に対して如何なる刑罰を科すのかは、予め
法律に規定しておかなければならない、という原則である。それは、法律主義
94

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

と事後法の禁止として具体化されるが、前者の条文上の根拠は、一般に、
「何
人も、法律の定める手続によらなければ、……刑罰を科せられない」とする規
定(憲法 31 条)に求められる 2)。しかし、
同条が「手続」と規定することから、
実体法に係る原則の根拠とはならないとの批判もある。そこで、例えば、国会
を「国の唯一の立法機関」とする規定(憲法 41 条)や 3)、政令に「罰則」を定
め得るとする規定(憲法 73 条 6 項)に根拠を求める見解もあるが 4)、いずれに
しても 5)、法律主義が憲法上の要請であること自体に争いはない。
この法律主義は、例えば、
「国民の権利を剥奪する刑罰に関する定めは、国
民の意思に基づかなければならない」ことに根拠があると説明される 6)。すな
2)

最大判昭和 37・5・ 30 刑集 16・5・ 577 も、条例上の罰則について、「憲法三一条の意

味において法律の定める手続によつて刑罰を科するもの」とする。評釈として、林修三「判
批」自治研究第三十八巻第八號(1962 年)3 頁以下、S・H・E「判批」時の法令 481 号(1962
年)42 頁以下、阿部照哉「判批」法律論叢第 73 巻第 2 号(1963 年)135 頁以下、金子芳雄「判
批」法學研究第三十六巻第四号(1963 年)97 頁以下、小島和司「判批」

部信善編『憲法

判例百選』
(有斐閣、1963 年)259 頁以下、脇田忠「判解」最高裁判所判例解説刑事

昭和

三十七年度(1969 年)151 頁以下、深瀬忠一「判批」雄川一郎編『行政判例百選I』
(有斐閣、
1979 年)110 頁以下、山内一夫「判批」成田頼明=磯部力編『地方自治判例百選』
(有斐閣、
1981 年)32 頁以下、園部逸夫「判批」
204 頁以下、和田英夫「判批」

口陽一編『憲法の基本判例』
( 有斐閣、1985 年)

部信善=高橋和之編『憲法判例百選Ⅱ(第二版)』
(有斐閣、

1988 年)436 頁以下、成田頼明「判批」塩野宏=小早川光郎編『行政判例百選I(第三版)』
(有
斐閣、1993 年)222 頁以下、大隈義和「判批」

口陽一=野中俊彦編『憲法の基本判例 第

二版』
(有斐閣、1996 年)216 頁以下、長谷部恭男「判批」磯部力ほか編『地方自治判例百
選[第三版]』
(有斐閣、2003 年)54 頁以下、西浦公「判批」高橋和之ほか編『憲法判例百
選Ⅱ[第5版]』
(有斐閣、2007 年)488 頁以下、鵜澤剛「判批」磯部力ほか編『地方自治判
例百選I[第4版]』
(有斐閣、2013 年)50 頁、村田尚紀「判批」長谷部泰男ほか編『憲法
判例百選Ⅱ[第7版]

』有斐閣、2019 年)448 頁以下、髙

雅夫「判批」斉藤誠=山本隆司

編『行政判例百選I[第8版]』
(有斐閣、2022 年)84 頁以下。
3)

宮川基「罪刑法定主義の憲法上の根拠規定」東北学院法学第 68 号(2009 年)59 頁以下、

松井茂記『日本国憲法 第4版』
(有斐閣、2022 年)271 頁、493 頁。なお、佐伯仁志『刑法
総論の考え方・楽しみ方』
(有斐閣、2013 年)17 頁。
4)

美濃部達吉『新憲法概論』
(有斐閣、1947 年)111 頁、佐伯千仭『刑事裁判と人権』
(法律

文化社、1957 年)76 頁。なお、田中英夫「憲法第三一条(いわゆる適正手続条項)につい
て」山本桂一ほか『日本国憲法体系 第八巻 基本的人権Ⅱ』
(有斐閣、1965 年)190 頁。

95

論説(渡邊)

わち、
「何を犯罪とし、それをいかに処罰するか」について「国民みずからが
民主的に決定」したといえるからこそ 7)、
「害悪付与にほかならない」はずの
刑罰であっても、(罪を犯した)
「国民が受容」せざるを得ないのである 8)。こ
のように、法律主義の根拠は、
「何が犯罪かは国民が決定するという民主主義
の原理にある」といえるから 9)、その本質は、罪刑法定主義の民主主義的要請
に求められよう。そして、法律主義が機能することで、刑法の適用を及ぼされ
る者にとって、民主的正統性が担保されることとなる。
ところで、我が国においては、
「法律」とは国会制定法をいい、「国民」の代
表たる国会議員による議論を経て立法されることで、その正統性の担保が図ら
れる。すなわち、
「国民の利害に重大な関わりをもつ刑法の内容については、
民主主義の要請として、国民自身が(その代表者を通じて)国会で決めなけれ
ばならない」のである 10)。この点、
「議会制民主主義の思想」により「刑罰法
規は国民自身が議会を通じて決定しなければならない」ことに法律主義の根拠
を求める見解もある 11)。ここでは、議会制民主主義という制度との関係で法律

5)

相川貴文「条例による罰則制定権」帝塚山大学教養学部紀要第五十三輯(1998 年)6 頁

以下は、これらの規定や「憲法 13 条の規定などを総合して考えれば、憲法 31 条を根拠と
しなくても、憲法が罪刑法定主義を採用していることは疑いがない」とし、大石眞『憲法
概論Ⅱ』
(有斐閣、2021 年)148 頁も、「むしろ憲法が当然に予定するところとみるべき」と
する。
6)

松原芳博『刑法総論[第3版]』
(日本評論社、2022 年)27 頁。同旨、同「罪刑法定主義

と刑法解釈」曽根威彦=松原芳博編『重点課題 刑法総論』
(成文堂、2008 年)2 頁、伊藤亮
吉『刑法総論入門講義』
(成文堂、2022 年)20 頁。
7)

大谷實『刑法講義総論 新版第5版』
(成文堂、2019 年)53 頁。

8)

橋本正博『法学叢書 刑法総論』
(新世社、2015 年)12 頁。

9)

山口厚『刑法総論[第3版]』
(有斐閣、2016 年)12 頁。浅田和茂『刑法総論[第2版]』
(成

文堂、2019 年)43 頁も、「国民が自らの自由の制限を自ら定めるという自律性の意味で、
民主主義の要請であ」るとする。
10) 井田良『講義刑法学・ 総論[第2版]』
(有斐閣、2018 年)34 頁以下。同旨、

原力三ほ

か『テキストブック刑法総論』
(有斐閣、2009 年)〔安田拓人〕10 頁、西田典之(橋爪隆補訂)
『刑法総論 第三版』
( 弘文堂、2019 年)46 頁、亀井源太郎ほか『刑法 I 総論』
( 日本評論社、
2020 年)〔小池信太郎〕241 頁。

96

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

主義の根拠が論じられているともいえるが、
その本質は、制度自体ではなく、
「法
律」の制定手続きにおける民主的正統性にあるといえよう 12)。
いずれにしても、これらの説明は、犯罪の主体たる行為者が自「国民」であ
る場合に、自国の刑法を適用する場面を想定している。しかし、これらの説明
によると、例えば、日本国内でドイツ人がドイツ人を殺害した場合は、日本「国
民」が罪を犯していない以上、日本刑法の適用が認められないことになりかね
ない。この点、例えば、刑法の適用に係る基本原則とされる属地主義の原則に
よれば、自「国民」に限らず、
「国内において罪を犯したすべての者」に対し
て自国刑法が適用される(刑法 1 条)
。ここでは、行為者が属する国(例えば、
ドイツ)の「国民」の代表ではなく、犯罪地国(日本)の「国民」の代表によ
る決定を経たことが、適用を許容すべき理由となっている。
これを、刑法の適用を及ぼされる者との関係で正当化するためには、当該刑
法の立法者は、犯罪地国の「国民」の代表というよりも、犯罪地国内に「所在
する者」の代表であると解すべきこととなろう。確かに、我が国において、外
国人に選挙権や被選挙権は認められておらず(公職選挙法 9 条、10 条)13)、そ
の意味で、国会議員は、国内に所在する者すべての代表とはいえないかも知れ
ない。しかし、旅行者などの短期滞在者の存在を想起すれば明らかなように、
罪を犯した時点で国内に所在する者すべてを、即時に選挙人名簿に登録するこ
とは不可能である 14)。それゆえ、仮に外国人に選挙権等を認めたとしても、そ
11) 高橋則夫『刑法総論 第5版』
(成文堂、2022 年)37 頁以下。
12) 例えば、内藤謙『刑法講義総論(上)』
(有斐閣、1983 年)20 頁は、「国家刑罰権が国民の
合意(意思)に由来するという意味で、『国民主権主義』を根拠とし、また、その決定が
国民の代表である議会によってなされるという意味で、制度としての『代表制民主主義』
を根拠とする」とし、伊藤渉ほか『アクチュアル刑法総論』
(弘文堂、2005 年)
〔鎮目征樹〕
12 頁も、法律主義の根拠は「何が犯罪かは国民が決定するという民主主義の原理にある」
としつつ、9 頁では、「国民に刑罰を科すことができるのは選挙で選ばれた国民の代表者の
みということ」にも根拠を求めるが、その本質は、いずれも前者に求めるべきであろう。
なお、関哲夫『刑法総論 第2版』
(成文堂、2018 年)22 頁以下は、「国民主権主義のもと国
家刑罰権のありようを最終的に決定するのは、主権者たる国民のはずだから」こそ、「間
接的ではあっても国民が自ら決定できる手続きを確保していくべき」とする。

97

論説(渡邊)

の権利行使は一定限度で制限されざるを得ない。
選挙権等を付与するために、国籍の取得まで要求するのか、一定期間以上の
居住実態で足りるとするのかは一つの問題だが、いずれにしても、権利行使ま
でには時間がかかる。また、そもそも日本国民でも 18 歳未満の者に選挙権等
は付与されていないし、ある規定の制定後に生まれた者は

って当該規定の制

定に至る選挙権等を行使し得ない。このように、ある規定の制定に至る選挙と
の関係で権利を行使し得なかった者にも当該規定が適用され得ることからすれ
ば、その正統性を具体的な権利行使の可能性と結び付けることはできない。そ
れゆえ、国内に所在する外国人に選挙権等が認められていないことをもって、
直ちに刑法の民主的正統性が失われると解すべきではないであろう。
このように、法律主義は、
「罪を犯した」場所(国)に所在する者の代表に
よる民主的決定を経たことで、充足されると考えられる。もっとも、刑法の域
外適用は、適用される(自国の)処罰規定が当該決定を経ていない点で、法律
主義の要請を充たさないから、その例外を認める論理が必要となる。
13) 憲法上も、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」
(憲
法 15 条 1 項)とされる。この点、地方選挙については、外国人「住民」
(憲法 93 条 2 項参照)
にも選挙権等を付与し得るとする立場が有力であるが(最三小判平成 7・2・28 民集 49・2・
639 参照)、国政選挙についても、定住ないし永住の外国人に選挙権等を付与し得る(すべ
き)とする見解もある。例えば、内野正幸『憲法解釈の論理と体系』
(日本評論社、1991 年)
84 頁、江橋崇「外国人の参政権」『現代立憲主義の展開 上』
(有斐閣、1993 年)199 頁、奥
平康弘『憲法Ⅲ』
(有斐閣、1993 年)61 頁、浦部法穂「『外国人の参政権』再論」憲法理論
研究会編『人権理論の新展開』
(敬文堂、1994 年)47 頁、同『憲法学教室 第3版』
(日本評
論社、2016 年)546 頁、後藤光男『共生社会の参政権』
( 成文堂、1999 年)130 頁、165 頁、
同『永住市民の人権』
( 成文堂、2016 年)71 頁、145 頁、153 頁以下、

村みよ子『市民主

権の可能性』
(有信堂高文社、2002 年)249 頁、渋谷秀樹『憲法 第3版』
(有斐閣、2017 年)
124 頁、高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第5版』
(有斐閣、2020 年)99 頁。
14) なお、江藤隆之「条例による罰則制定の批判的検討」桃山法学 26 号(2017 年)4 頁、
16 頁は、条例の民主的正統性への疑問として、「越境通勤通学者など」の「民主的手続き
に参加していない滞在者が多い」ことを挙げる。同・32 頁以下参照。この点、柳瀨良幹『人
權の歴史』
(明治書院、1949 年)190 頁以下は、「外國人といえども日本國内に入つて來ると
きは當然に日本の法律の適用を受け」る以上、「特に何も怪しむにたるものではない」と
していた。

98

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

2  法律主義の例外
上述のように、法律主義は憲法上の要請とされるが、
「かならずしも刑罰が
すべて法律そのもので定められなければならないとするものではなく」15)、例
えば、
「特にその法律に委任がある場合」
(特定委任)には、政令に「罰則」を
定め得る(憲法 73 条 6 号但書)16)。また、
「法律の範囲内」で条例を定め得る
ことを前提に(憲法 94 条)

「法律」に定められた条件で罰則を定め得るとさ
れてきた(地方自治法 14 条 3 項)17)。すなわち、憲法は、
「法律」以外に処罰
規定を定める余地を排除していないと解されているが 18)、これらの場合に、法
律主義の例外を認める実質的根拠が問題となる。そして、同様の根拠があれば、
これらの場合以外にも例外を認め得るともいえそうである。
そこで、まず、政令に罰則を定め得る実質的根拠について検討する。政令と
は、内閣が発する命令をいう。我が国においては、大臣の過半数が国会議員の
中から選ばれるのだとしても(憲法 68 条 1 項)
、国民が直接に内閣構成員を選
ぶことはできないから、政令の民主的正統性について疑問がない訳ではない。
しかし、上述のように、特定委任が条件とされることで、罰則を定める場合の
裁量の余地が狭められている。すなわち、このような「法律の授権」があるこ
とで 19)、政令上の罰則の統制を「法律」により行うことが可能であるから、た
とえ「法律」の形式で規定されていなくとも、実質的観点から、その民主的正
統性に問題はないと説明される 20)。
15) 前掲注(2)最大判昭和 37・5・30。
16) さらに、「法律の委任」がある場合には、内閣府令や省令等に「罰則」を定め得る(内
閣府設置法 7 条 4 項、国家行政組織法 12 条 3 項、13 条 2 項)。
17) 条例には、「二年以下の懲役若しくは禁錮、百万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没
収の刑又は五万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」。
18) 江藤・ 前掲注(14)13 頁以下は、政令上の罰則とは異なり、条例上の罰則については憲
法上に明文の根拠規定がないから、これを認める立場は、「法律と条例の区別を前提とす
る以上、法律主義を守りきれていない」とする。もっとも、内閣府令や省令上の罰則につ
いても(前掲注(16)参照)、憲法上に明文の根拠規定は見当たらない。
19) 前掲注(2)最大判昭和 37・5・30 は、これを条例上の罰則にも援用するが、後述のように、
要求される「授権」の程度が異なると解している。

99

論説(渡邊)

次に、条例に罰則を定め得る実質的根拠について検討する。条例とは、都道
府県等の地方公共団体が定める法をいう。条例は、
「法律の範囲内」で、「法令
に違反しない限りにおいて」定め得るから(地方自治法 14 条 1 項)、罰則を定
める場合の裁量の余地が狭められているともいえる。確かに、特定委任のよう
な「法律」の授権は必要とされないから、その統制は充分とはいえないであろ
う。しかし、条例は、
「法律」とは制定過程が異なるものの、適用される地方
の代表による決定を経て定められる。このような特徴を併せ考慮することで、
「法律」の形式で規定されていなくとも、実質的観点から、その民主的正統性
に問題はないと説明される。
確かに、政令上の罰則は、特定委任が前提とされるものの、その委任内容に
具体的な制約はないから、これを抽象化することで「法律」による統制を緩和
することも不可能ではない。しかし、その趣旨に鑑みれば、できる限り委任内
容を具体化すべきである 21)。他方で、条例上の罰則は、
「法律」で刑の上限が
定められているにとどまる。そこで、
地方公共団体の処理すべき事務が「法律」
で示されることで委任内容が具体化されるとの考え方もあり得る。判例におい
ても 22)、当時の「法律」に地方公共団体の処理すべき事務が例示されてお
り 23)、違法行為の内容が「相当に具体的」に定められていることが 24)、条例上
の罰則について合憲性を認めた一つの理由とされた。
しかし、現行法上は、
「地域における事務及びその他の事務で法律又はこれ
に基づく政令により処理することとされるもの」と規定されるにとどまるから
20) なお、仲道祐樹「行為準則としての刑法と罪刑法定主義」高橋則夫ほか『理論刑法学
入門 刑法理論の味わい方』
(日本評論社、2014 年)269 頁以下は、如何なる場合に「行動準
則を法律以外の下位規範に委任することが許されるか」について、例えば、「人事行政の
公正の確保」のために委任が許され、
「民主主義的要請が後退することがありうる」とする。
確かに、このような事情は委任を許す動機となり得るが、それは、必ずしも「民主主義的
要請」と両立し得ない訳ではない。それゆえ、たとえ「人事行政の公正の確保」のためでも、
「法律」による委任内容を具体化せずに罰則を定めることは、許されないと思われる。
21) 具体化の程度について、最大判昭和 49・ 11・ 6 刑集 28・9・ 393 参照。
22) 前掲注(2)最大判昭和 37・ 5・30。

100

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

(地方自治法 2 条 2 項)
、上記の判例は、
「今では歴史過程上のもの」であっ
て 25)、このような考え方が現在も妥当するかは疑問である 26)。むしろ、判例に
おいて、条例とは「自治立法に外ならない」から、
「国民の公選した議員をも
つて組織する国会の議決を経て制定される法律に類する」と判示されたことに
着目すべきである。すなわち、条例上の罰則が罪刑法定主義に適合すると主張
するためには、「国家法(法律)と自治立法(条例)の国民=住民代表的民主
的基盤の類似性」を強調するほかはない 27)。
判例のように、これを「法律の授権が相当な程度に具体的であり、限定され
ておればたりる」理由とし 28)、
「法律の委任」を要求しつつも、その程度を緩
和するための説明に用いることも不可能ではないであろう 29)。もっとも、学説
においては、このような考え方を徹底し 30)、条例上の罰則に「法律の委任」を
要求しない立場が有力である 31)。いずれにしても、条例の制定過程に着目する
23)「売春の目的で、街路その他公の場所において、他人の身辺につきまとつたり又は誘つ
たりした者は、五千円以下の罰金又は拘留に処する」との条例上の罰則との関係で、当時
の地方自治法において、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福
祉を保持すること」
(同法 2 条 3 項 1 号)や「清掃、消毒、美化、騒音防止、風俗又は清潔を
汚す行為の制限その他の保健衛生、風俗のじゆん化に関する事項を処理すること」
(同法同
条同項 7 号)などが、処理すべき事務として例示されていたことが指摘された。
24) もっとも、この程度の例示で委任内容が具体化されたと評価すべきかには、疑問の余
地がある。垂水克己裁判官の補足意見(藤田八郎裁判官同調)及び奥野健一裁判官の補足
意見参照。
25) 佐藤幸治『日本国憲法論[第2版]』
(成文堂、2020 年)615 頁。なお、前田雅英『刑法総
論講義[第7版]』
(東京大学出版会、2019 年)56 頁は、「地方自治法 2 条Ⅲ項は条例への委
任事項をかなり具体的に限定し」ているから「包括的委任とは解されない」との評価を、
現在も維持している。同旨、木村光江『刑法[第4版]』
(東京大学出版会、2018 年)11 頁。
26) 西浦・ 前掲注(2)489 頁、藤井俊夫『憲法と政治制度』
(成文堂、2009 年)347 頁、安田・
前掲注(10)13 頁、鵜澤・前掲注(2)50 頁、村田・前掲注(2)449 頁、大石眞『憲法概論I』
(有
斐閣、2021 年)506 頁、同・ 前掲注(5)150 頁。なお、長谷部・ 前掲注(2)55 頁、同『憲法
第8版』
(新世社、2022 年)471 頁、江藤・前掲注(14)6 頁、渋谷・前掲注(13)767 頁、髙 ・
前掲注(2)85 頁。前田徹生「条例による罰則制定と罪刑法定主義」上智法學論集第 52 巻第 1・
2 号(2008 年)220 頁も、判例の基準からは「現行規定は違憲と断ずるほかはあるまい」
とする。

101

論説(渡邊)

ことは、「法律」による統制が充分とはいえないことを補うか、あるいは、そ
れ以上の意味で重要であると思われる。すなわち、
「罪を犯した」場所(に所
在する者)の代表による民主的決定を経たことこそが 32)、条例上の罰則に正統
性を認める根拠の根幹を為すといえよう 33)。

27) 和田・ 前掲注(2)437 頁。同旨、柳瀨・ 前掲注(14)186 頁以下、阿部・ 前掲注(2)133 頁、
田中二郎『法律による行政の原理』
(酒井書店、1954 年)343 頁、同『新版行政法 中巻 全訂
第二版』
( 弘文堂、1976 年)136 頁、兼子仁『条例をめぐる法律問題』
( 学陽書房、1978 年)
106 頁、前田・前掲注(26)222 頁、高橋・前掲注(13)429 頁。なお、相川・前掲注(5)12 頁は、
罰則の制定を「地方議会の議決にかからしめることは罪刑法定主義と軌を一に」するから、
「それが罪刑法定主義の例外をなすとか、罪刑法定主義にいう法律には条例も含まれると
いう以上に、罪刑法定主義そのものである」とするが、平野龍一『刑法総論I』
(有斐閣、
1972 年)57 頁は、「国家と地方自治体との間の権限分配の問題であって、罪刑法定主義の
問題ではない」としつつ、「法律の委任をまってはじめて罰則を制定することができる」
とする。
28) 前掲注(2)最大判昭和 37・ 5・30(学説上、「限定的法律授権説」ないし「委任要件緩和
説」に分類し得る)。入江俊郎裁判官の補足意見も、「個別的委任たることを要する」とし
つつ、その程度は「緩やかなもの」でよいとする。これに対して、垂水裁判官の補足意見は、
「憲法九四条は例外的に条例による罰則の制定を制限付で許容している」のであり「法律
の委任」を要求していないから、「条例を制定しうる範囲」が「広く包括的な、一般的な
ものであつても違憲ではない」とする(「憲法直接授権説」ないし「条例法律説」に分類
し得る)。奥野裁判官の補足意見は、これらを批判しつつ、「一定の制限の下に一定の基準
を設けてなされた法律の委任」で足りるとする(「一般的・包括的法律授権説」ないし「条
例準法律説」に分類し得る)。
29) これに対して、前田徹生「条例の罰則」
『憲法の争点[第3版]』
(有斐閣、1999 年)282 頁、
同・ 前掲注(26)219 頁は、「民主的な自主立法であること」は、「委任を不要とする根拠と
はなりえても、緩和する根拠とはなりえない」と批判する。同旨、江藤・前掲注(14)20 頁。
西浦・ 前掲注(2)489 頁も、「法律の委任が必要であるとすることと条例が自主立法である
ということとの矛盾」を指摘する。なお、小島・前掲注(2)260 頁、長谷部・前掲注(2)55 頁。
30) なお、田中・前掲注(27)行政の原理 336 頁以下は、条例という「自主法定立の委任に外
3

3

3

3

3

3

3

3

ならない」から「改めて法律の授権を必要としない」とし、成田頼明「法律と条例」室井
力編『文献選集日本国憲法 12 地方自治』
(三省堂、1977 年)99 頁以下は、条例は国が「包
括的に定立する権能を付与」した「地方公共団体の自主法」であるとしつつ「特別の授権
規定を必要とする」とする。なお、柳瀨・前掲注(14)
187 頁、林・前掲注(2)
10 頁、S・H・
E・ 前掲注(2)48 頁。これらは、「一般的・包括的法律授権説」に分類し得る。

102

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

このように、政令上の罰則についても条例上の罰則についても、
「法律」に
よる統制が可能であることを前提に、制定過程における特徴も考慮しながら、
実質的観点から、その民主的正統性が論じられている。刑法の域外適用におい
ても、これらと同じく、例外を認め得る要素があるかが問題となる。

31)「憲法直接授権説」に分類し得る。例えば、松井・ 前掲注(3)271 頁は、「条例制定権が
自主立法権として地方議会に認められている以上、地方議会は 94 条に基づいて当然罰則を
定めることが許される」とする。同旨、阿部・ 前掲注(2)138 頁以下、金子・ 前掲注
(2)101
頁以下、深瀬・ 前掲注(2)111 頁、南川諦弘『条例制定権に関する研究』
(大阪市立大学経済
学部、1984 年)18 頁以下、前田・前掲注(26)221 頁、伊東研祐『刑法講義総論』
(日本評論社、
2010 年)18 頁、浦部・前掲注(13)教室 308 頁、佐藤・前掲注(25)
614 頁、大石・前掲注(26)
505 頁、同・ 前掲注
(5)150 頁、髙

・ 前掲注(2)85 頁。鵜澤・ 前掲注(2)50 頁も、「国の法

令による『委任』でもって説明すること自体の適切性が問われてしかるべき」とする。同旨、
小林憲太郎『刑法総論の理論と実務』
( 判例時報社、2018 年)56 頁、66 頁、同『刑法総論
第2版』
( 新世社、2020 年)24 頁。これに対して、江藤・ 前掲注(14)9 頁以下は、「そもそ
も刑罰規範制定権は規範制定権に当然に内包されているものなのか、規範を実効的にする
ために当然に刑罰が必要なのか」が疑問とする。なお、柳瀨・前掲注(14)175 頁以下、山内・
前掲注(2)33 頁。
32) なお、団藤重光『刑法綱要総論 第三版』
(創文社、1990 年)48 頁のように、専ら条例が「地
方議会の議決を経る」点に、
「合憲性を認める根拠」を求める見解もある。同旨、森下忠『刑
法総論』
(悠々社、1993 年)20 頁、荘子邦雄『刑法総論〔第三版〕』
(青林書院、1996 年)17 頁、
西原春夫『刑法総論改訂版〔上巻〕』
(成文堂、1998 年)36 頁、大塚仁『刑法概説(総論)〔第
四版〕』
(有斐閣、2008 年)62 頁以下、岡野光雄『刑法要説総論[第2版]』
(成文堂、2009 年)
17 頁、福田平『刑法総論〔第五版〕』
( 有斐閣、2011 年)33 頁、萩原滋『刑法概要〔総論〕
第3版』
( 成文堂、2014 年)25 頁、設楽浩文=南部篤編『刑法総論』
( 弘文堂、2018 年)
〔南
部篤〕25 頁、松宮孝明編『ハイブリッド刑法総論[第3版]』
(法律文化社、2020 年)
〔金尚均〕
20 頁。しかし、上述のように、その本質は、制度自体ではなく、条例の制定手続きにおけ
る民主的正統性にあるといえよう。
33) なお、江藤・前掲注(14)
15 頁は、
「刑罰規範の制定が民主的コントロールによること」は、
「必要条件」であっても「十分条件」ではなく、例えば、「一般に条例は法律よりも認識し
づらく、その規定内容も明確性に疑義があるものが多くありえ、適用範囲の境界線も法律
に比して曖昧である」点で、「自由主義的側面」から検討の余地があるとする。同・24 頁
以下参照。しかし、これらの点は、法律主義とは区別して論じるべきであろう。

103

論説(渡邊)

Ⅲ 域外適用の正当化
1  正当化の論理
上述のように、刑法の域外適用は、適用される規範の民主的正統性に疑いが
あるという意味で、
そのままでは罪刑法定主義の民主主義的要請を充たさない。
それゆえ、いわゆる「双方可罰性の原則」を導入することで、立法論的な解決
を図るべきである。双方可罰性の原則とは、自国の処罰規定と犯罪地国の処罰
規定とを比較し、同様の行為が双方で処罰されている場合に限って適用を認め
る原則である。その運用に際しては、両国の処罰規定を比較する作業が必要と
なるが、そこで内容の一致が確認されれば、形式的には、自国の処罰規定が適
用されているとしても、実質的には、犯罪地国の処罰規定が適用されたのと同
等と評価することも不可能ではないように思われる。
なお、消極的属人主義に基づく規定(刑法 3 条の 2)の新設に際しては、そ
れが自国民の保護の観点から規定されたとの理解から、双方可罰性の原則の導
入に否定的な見解が大勢を占めた 34)。確かに、従来、同原則は、代理処罰の必
要性を根拠とする場合に前提となる要件とされてきたから、このような見解に
は理由があるともいえる。しかし、本稿においては、これとは別の要請から、
同原則の導入が論じられている。すなわち、ここでは、刑法の域外適用の必要
性を基礎付ける事情としてではなく、その許容性の条件として、双方可罰性が
要請されているのである。それゆえ、刑法の域外適用の必要性に係る議論とは
関係なく、同原則の導入を論じる余地があろう。
もっとも、このような考え方は、外国の処罰規定を援用することとの関係で、
問題がない訳ではない。確かに、この場合にも自国の「法律」が適用される以
上、形式的には、法律主義に反しないとしても、その内容が犯罪地国の処罰規
定によって制約されるのであれば、実質的には、
「法律」の適用はなく、法律

34) 渡邊卓也「消極的属人主義による国外犯処罰」清和法学研究第 12 巻第 2 号(2005 年)
110 頁以下参照。

104

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

主義に反するともいえるからである。しかし、上述のように、憲法が「法律」
以外に罰則を定める余地を排除していないとすれば、刑法の域外適用にあたっ
て、外国の処罰規定を援用することも許容されるというべきである。問題は、
援用を許容すべきといえるだけの、実質的根拠であろう。すなわち、その場合
に、法律主義の例外を認め得る要素があるかが問題となる。
上述のように、法律主義の例外である政令上の罰則と条例上の罰則とに共通
するのは、程度の差はあれ、その内容が「法律」により統制されていることで
あった。また、条例上の罰則については、これに加えて、適用される地方の代
表による決定を経た自治立法であるという、制定過程における特徴も考慮され
ていた。この点、双方可罰性の原則の導入によって援用される犯罪地国の処罰
規定は、自国における同内容の処罰規定を必要とするから、援用される際の規
定の内容が自国の規定によって統制されることとなる。また、援用される規定
は、犯罪地国の代表による決定を経て立法される。それゆえ、刑法の域外適用
においても、法律主義の例外を認め得る要素があるといえよう。
ところで、条例については、
「地方自治の現状のなかで、十分な民主的基礎
に裏づけられているとはかぎらない条例に対して、広い刑罰権の委任をおこな
うことには、実際問題として若干の疑問の余地がある」とか 35)、
「一院制であ
り長の専決処分が認められるなど、法律ほど慎重な審理は求められていない」
との問題点も指摘されている 36)。これらは、条例の制定過程における地方公共
団体の立法能力を疑問視する指摘といえる 37)。これと同様に、自国との比較で
犯罪地国の立法能力を疑問視することで、刑法の域外適用を積極的に推し進め
ようとする立場もあり得る。
現在の刑法の域外適用の無制約な拡大についても、
このような考え方が背景にあるように思われる。
しかし、双方可罰性の原則が導入された場合には、このような考え方は、必
35) 小林直樹『[新版]憲法講義(下)』
(東京大学出版会、1981 年)475 頁。
36) 松原・ 前掲注(6)総論 29 頁。同旨、同・ 前掲注(6)重点課題 3 頁。「戦後の民主化におい
て中央集権に対抗する地方『自治』にリベラルなイメージが付与されたせいか、われわれ
は地方自治体に対して警戒心が希薄になっているのかもしれない」と指摘する。

105

論説(渡邊)

ずしも妥当しないように思われる。すなわち、その場合には、犯罪地国の代表
により立法された法律が援用されることとなるから、一般論として、条例上の
罰則とは異なり、自国の「法律」と同程度の慎重な審理が期待し得る。また、
自国における同様の処罰規定を必要とすることによって、条例上の罰則よりも
直接的に規定の内容が統制されることとなるから、たとえ犯罪地国の立法能力
が低くとも、
それを自国の立法能力によって補うことが可能となる。それゆえ、
双方可罰性の原則の導入を前提とした刑法の域外適用は、条例上の罰則よりも、
法律主義の例外を認めるべき場面として適切といえよう。
このように、そもそも、法律主義が罪刑法定主義の民主主義的要請に根拠を
持つことからすれば、当該要請に合致する事情が認められれば、実質的観点か
ら、その例外を認め得る。刑法の域外適用における双方可罰性の原則の導入は、
自国と犯罪地国の双方から見て、この実質を担保するための手段として有用と
考える。
2  比較の基準
問題は、仮に、双方可罰性の原則を導入するとしても、両国の処罰規定の内
容の一致を確認するために、
具体的に如何なる基準で比較を行うべきかである。
この点、上述のように、従来、同原則は、国外犯処罰規定の導入にあたって、
代理処罰の必要性を根拠とする場合に前提となる要件とされてきた。また、同
原則は、犯罪人引渡し制度との関連で発展し、次第に、捜査協力を含む国際刑
事共助一般で採り入れられてきたという経緯がある 38)。それゆえ、比較の基準
を考えるにあたっても、国外犯処罰規定において同原則を導入した諸外国の運
37) この点、田中・ 前掲注(27)行政の原理 344 頁は、
「地方公共團軆の立法機關の整備と立
法技術の向上を特に望まなければならぬ」としていたが、これに対して、南川・前掲注(31)
23 頁は、「とりわけ都道府県、政令指定都市、県庁所在市等において、その立法能力にめ
ざましい向上が認められる」とする。もっとも、大野真義『罪刑法定主義 新訂第二版』
(世
界思想社、2014 年)274 頁以下は、「現実には地方公共団体の立法能力は低いとみなければ
ならず、刑罰が憲法の保障する住民の自由権を制約するものであるかぎり、条例において
刑罰を規定する場合、一応法律で枠を定めておくことが望ましい」とする。

106

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

用が参考になると同時に、国際刑事共助を見据えた手続法の分野における議論
をも参考にしつつ 39)、検討を進めることが考えられる。
もっとも、本稿は、同原則を刑法の域外適用一般に及ぼし、実体法の分野に
おける導入を論じているから、従来の議論とは、導入の根拠が必ずしも一致し
ない。それゆえ、まずは実体法の観点から、比較の基準を理論的に導出し得る
かを検討すべきように思われる。この点、刑法学においては、例えば、暴行を
共謀した者の1人が殺意をもって被害者を刺突し死亡させた事案のような、い
わゆる「共犯の過剰」の事例の処理を巡って、処罰規定の内容の一致を確認す
るための基準が議論されてきた。そこでは、共謀者間で実現しようとした犯罪
が異なる場合であっても、各々の認識していた犯罪の「構成要件が重なり合う
限度で」
、共犯の成立を認め得るとされるのが一般である 40)。
当該事案については、まず、共犯として成立する犯罪における罪名の一致の
要否との関係で、共犯の本質の理解が問われる。次に、共犯として関与する者
38) 逃亡犯罪人引渡法は、「引渡に関する制限」として「引渡犯罪に係る行為が日本国内に
おいて行なわれたとした場合において、当該行為が日本国の法令により死刑又は無期若し
くは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に処すべき罪にあたるものでないとき」及び「引渡
犯罪に係る行為が日本国内において行われ、又は引渡犯罪に係る裁判が日本国の裁判所に
おいて行われたとした場合において、日本国の法令により逃亡犯罪人に刑罰を科し、又は
これを執行することができないと認められるとき」を規定する(同法 2 条 4 項、5 項)。また、
国際捜査共助等に関する法律は、「共助の制限」として「条約に別段の定めがある場合を
除き、共助犯罪に係る行為が日本国内において行われたとした場合において、その行為が
日本国の法令によれば罪に当たるものでないとき」を規定する(同法 2 条 2 項)。
39) 森下忠『国際犯罪の新動向』
(成文堂、
1979 年)34 頁以下、同『国際刑事司法共助の理論』
(成
文堂、1983 年)81 頁以下、同『刑事司法の国際化』
( 成文堂、1990 年)56 頁以下、同『犯
罪人引渡法の理論』
(成文堂、1993 年)29 頁以下、同『犯罪人引渡法の研究』
(成文堂、2004
年)7 頁以下、古田佑紀「刑事司法における国際協力」
『 現代刑罰法大系1』
( 日本評論社、
1984 年)379 頁以下、385 頁以下、396 頁以下、同「国際共助における双罰性の考え方」研
修 533 号(1992 年)13 頁以下、山本草二『国際刑事法』
(三省堂、1991 年)202 頁以下、平
野龍一=松尾浩也編『新実例刑事訴訟法[I]』
(青林書院、1998 年)〔相澤恵一〕308 頁以下、
洪恵子「国際協力における双方可罰性の現代的意義について(一)」三重大学法経論叢 18 巻
1 号(2000 年)5 頁以下、
下、尾

田健太郎『犯人引渡と庇護権の展開』
(信山社、2020 年)9 頁以

久仁子『国際人権・刑事法概論 第2版』
(信山社、2021 年)261 頁以下等参照。

107

論説(渡邊)

における故意の肯否との関係で、主観的に認識した犯罪と客観的に実現した犯
罪との間の不一致の許容限度(抽象的事実の錯誤における故意の符合)が問わ
れる。このうち、前者については、共通の故意に基づいて一個の犯罪を共同す
ることを共犯の本質とする立場を前提に、構成要件が重なり合う限度で軽い罪
の「共同」を認める見解が有力である(部分的犯罪共同説)41)。他方で、後者
については、構成要件が重なり合う部分の規範に直面していた以上、その限度
で故意を認め得るとする見解が有力である(法定的符合説)。
確かに、共犯の本質論においては、共通の故意に基づいて犯罪が共同されて
いるかが問われ、錯誤論においては、行為者が直面した規範との関係で故意の
存否が問われるから、これらの論点は、いずれも、行為者の主観面の問題とし
て論じ得る。しかし、最終的には行為者の主観面が問われるとしても、そのた
めに、まずは「構成要件が重なり合う」部分を確定せざるを得ない。すなわち、
直接的に問われるのは、あくまでも客観的な構成要件の内容の一致であって、
行為者の主観面ではないから、この基準自体は、共犯の本質論や錯誤論にとど
まらず、他の論点にも援用し得るように思われる。それゆえ、この基準を、刑
法の域外適用の場面に援用することも許されるであろう。
もとより、国ごとに法制度が構築されてきた歴史が異なる以上、犯罪の規定
振りが完全に一致する国は存在しないと思われる。それゆえ、文字通りの「双
方可罰性」は望めない。しかし、犯罪の規定振りが異なっても、構成要件が重
なり合う限度で「双方可罰性」を認め得ると思われる。例えば、仮に殺人罪の
規定が存在しない国が存在し、そこで殺人が行われた場合も、当該犯罪地国に
傷害罪の規定があれば、傷害の限度で「双方可罰性」が認められ、その限度で

40) 最一小決昭和 54・ 4・13 刑集 33・ 3・ 179。評釈として、渡邊卓也「判批」佐伯仁志=
橋爪隆編『刑法判例百選I[第8版]』
(有斐閣、2020 年)186 頁以下等。
41) 殺意をもって重篤な患者を放置し死亡させた事案について、殺意のなかった者との間
で「保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となる」とした判例(最二小決平成 17・ 7・ 4
刑集 59・6・403)も、部分的犯罪共同説から説明する方が自然である。渡邊・前掲注(40)
187 頁参照。

108

双方可罰性の原則と罪刑法定主義

自国刑法の域外適用が可能となろう。また、例えば、麻薬輸入罪の規定が存在
しない国で麻薬の輸入が行われた場合も、当該犯罪地国に覚醒剤輸入罪の規定
があれば、その限度で自国刑法の域外適用が可能となろう 42)。
なお、双方可罰性の原則の導入にあたっては、構成要件が重なり合う部分の
確定が重要となるが、たとえ犯罪の内容に係る規定振りが一致していたとして
も、国によって刑罰の重さが異なる場合があり得る。刑法が犯罪と刑罰に関す
る法である以上、犯罪の内容のみならず、刑罰の重さもまた法律主義の観点か
ら規制されなければならないから、この場合の解決も問題となる。この点、上
述の事例の処理を巡っては、構成要件が重なり合う限度で、
「軽い」罪の成立
を認め得るとされるのが一般である。刑法の域外適用の場面でも、軽い刑罰の
限度で処罰規定の内容の一致があるといえるから、その限度で「双方可罰性」
を認めるべきであろう(軽い法の原則)

このように、実体法分野における従来の議論を参考にすると、双方可罰性の
原則の導入にあたって、自国と犯罪地国との処罰規定の内容の一致を確認する
ための比較の基準は、構成要件の重なり合いに求め得る。そして、その重なり
合いの判断にあたっては、犯罪の内容のみならず、刑罰の重さも対象となる。

Ⅳ 結語
以上のように、罪刑法定主義の具体化としての法律主義は、「罪を犯した」
場所(国)に所在する者の代表による民主的決定を経たことで、充足されると
考えられる。この点、刑法の域外適用は、適用される(自国の)処罰規定が当
該決定を経ていない点で、法律主義の要請を充たさない。しかし、法律主義が
罪刑法定主義の民主主義的要請に根拠を持つことからすれば、当該要請に合致
する事情が認められれば、実質的観点から、その例外を認め得る。すなわち、
この場合にも、政令上の罰則や条例上の罰則と同様に、
「法律」による統制が
可能であることを前提に、制定過程における特徴も考慮しながら、実質的観点
42) 最一小決昭和 54・3・27 刑集 33・ 2・ 140 参照。

109

論説(渡邊)

から、その民主的正統性を論じる余地がある。
双方可罰性の原則の導入によって援用される犯罪地国の処罰規定は、自国に
おける同内容の処罰規定を必要とするから、援用される際の規定の内容が自国
の規定によって統制されることとなる。また、援用される規定は、犯罪地国の
代表による決定を経て立法される。それゆえ、刑法の域外適用においても、法
律主義の例外を認め得る要素があるといえよう。このように、双方可罰性の原
則の導入は、自国と犯罪地国の双方から見て、この実質を担保するための手段
として有用と考える。なお、犯罪の規定振りが完全に一致する国は存在しない
と思われるが、その場合も、構成要件が重なり合う限度で「双方可罰性」が認
められ、その限度で刑法の域外適用が可能となろう。
したがって、刑法の域外適用と罪刑法定主義との抵触を回避するためには、
双方可罰性の原則の導入が必要である。本稿は、これを罪刑法定主義の民主主
義的要請との関係で検討した。自由主義的要請との関係も問題となるが、この
点は、外国人の違法性の意識の問題一般と関係するため、別稿において詳しく
論じることとしたい。
〔付記〕本稿は、科学研究費補助金(基盤研究(C)

「国際化する犯罪に対
する刑法の適用のための普遍的な正当化原理の探究」
(研究課題番号 21K01190)
における、研究成果の一部である。
(わたなべ・たくや 筑波大学法科大学院教授)

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