新興ワイン産地における小規模ワイナリーの存立構造に関する調査・研究―北海道の事例を中心として―
概要
本論文は,日本の新興ワイン産地における小規模ワイナリーの存立構造の解明を目的とした実証研究である。
日本ワインの歴史は古く,1858(安政5)年に欧米5カ国との通商条約が締結され,多くの外国人が来日してワインの需要が高まり,明治になって甲府において野生ぶどうからワインを試醸し1874(明治7)年に製品化された。日本の酒造業は明治以前からの日本酒と焼酎醸造に始まり,明治以降はビール,ウイスキー,ワインも加わり発展してきた。ビールとワインはほぼ同時期から醸造が開始され,ビールは1877(明治10)年頃より順調に出荷量が増え価格も安くなり消費量が増える一方で,ワインについては明治政府が特に北海道と山梨県においてぶどう栽培とワイン造りを奨励したものの,ヨーロッパ種ぶどうが日本の風土に合わないことや,ワインの醸造技術の未熟さ等が原因で衰退した。その後,揺籃期を経て,1970年の外国産ワイン輸入自由化を契機として消費が拡大したが,現在の日本国内市場におけるワイン流通量の66%は輸入ワインとなっており,国内製造は34%に過ぎない。
国内製造34%のうち29%は,海外原料を醸造したもの,もしくは海外原料と国産原料のブレンドワインとなっており,「日本ワイン」(国産ぶどうを100%活用し日本国内で醸造したもの)はわずか5%しかない。しかし近年,降水量が多く一日の気温差が小さい日本に適したワイン用ぶどうの品種改良や栽培技術が向上し,国際的にも評価の高いワインが製造されるようになっている。また,地域の新たな特産品としての「日本ワイン」が着目される中で,産地形成に向けた「ワイン特区」等の規制緩和や自治体による支援策も展開されている。醸造酒(ビール,日本酒,ワイン)の消費に占めるワインの割合は,1992年には1.5%であったが2019年には11.9%に伸長し,自家栽培ぶどうを利用して醸造する生産者,すなわちワイナリー振興による地域活性化が期待されている。こうしたワイナリー数は,2010年9月末の175件に対して2019年3月末には331件とほぼ倍増している。ただし,生産量が100kl未満の小規模ワイナリーが全体の85%を占めており(2018年度国税庁課税部酒税課),その98%が欠損・低収益企業となっている点が問題となっている。
これまで日本におけるワイナリーに関する研究は,日本ワイン産業の実態について,原田(2017)が社会科学分野におけるワイナリーの重要性について考察し,福﨑ら(2021)はワイナリー集積が急速に進展した長野県東御市における産地形成の過程を明らかにし,武者(2016)は北海道におけるワイナリーの6次産業化の現状を解明しているほか,石川(2020)や石川・黒瀧(2021)がワイン産業の史的展開やワイナリー経営に関する産地の課題を明らかにしている。これらの先行研究は,いずれもワイン産業・産地形成に関する重要な研究であるが,「日本ワイン」の重要な担い手である小規模ワイナリーの実態に関する研究は乏しい。
そこで本論文では,文献調査,日本のワイン3大産地(山梨県,長野県,北海道)のワイナリーアンケート調査,北海道のワイナリーへのヒアリング調査をもとに,日本におけるワイン産業の特質と課題を抽出し,次に日本ワイン生産量の7割を占める3大産地の産地形成プロセス及びワイナリーの経営実態を明らかにした上で,新興ワイン産地である北海道の小規模ワイナリーの存立構造及び小規模ワイナリーの持続的経営の課題の実証的解明を試みたものである。
本論文は全5章から構成されており,各章の概要は以下のとおりである。
第1章において日本ワイン産業の史的展開を概観し,第2章では,原料ぶどうの不足から海外から濃縮ぶどう果汁を輸入し日本で醸造,またはワインそのものを輸入し日本で瓶詰めする等の大手ワインメーカーを中心とする日本ワイン産業の特質を明らかにした。第3章では,伝統産地である山梨県および長野県,新興産地としての北海道におけるワイン産地形成の歴史的展開および産業振興策を俯瞰した。第4章では,3道県に対してアンケート調査を行い,経営実態や課題を把握し,産地形成に必要な項目を明らかにした。第5章では,新興産地である北海道の全ワイナリー(2019年時点)の実態調査を行い,小規模ワイナリーの持続的経営にむけた課題を検討した。なお,終章では,上記の調査研究において明らかとなった諸点を踏まえ,今後,北海道が「日本ワイン」産地として維持・発展するための展望に関する総合的考察を行っている。
本研究の結果明らかになった主な事項は,以下の6点である。
第1に,これまでの日本のワイン産業は,歴史的に「大企業主導の海外原料依存型」の産業構造となっていたことである。具体的には,明治政府の殖産興業による官主導型でワイン製造が始められ,その後政府の緊縮財政に伴い民間に移譲されていったが,“赤玉ポートワイン”に代表されるような人工甘味ぶどう酒の時代が長く続いた。1970年に外国産ワインの輸入が自由化され,食の欧米化の影響もあり,一気にワインの消費量が拡大したが,原料ぶどうの生産が追いつかなかったことから,大手ワインメーカーは海外の原料(バルクワイン,輸入濃縮ブドウ果汁)に依存したワイン製造に傾斜することになる。その結果,ワインの国産原料比率に言及することが憚られる時代が長く続くことになったのである。
第2に,従来とは全く異なるタイプの「小規模ワイナリーの群生的誕生」である。この背景には,ローカルワインの醸造が地域活性化の一手段と見なされるようになったこと,国産ワインの推奨や小規模事業者の参入を容易にする制度改正が行われたこと等がある。実際,1980年代以降,自家栽培ぶどう・ワイン醸造による小規模ワイナリーの叢生や,自治体が地域活性化に繋がることを期待して新規ワイナリー設立希望者を地域に招き入れる等の動向が活発化していた。2000年以降,地産地消と共に食品加工原料も国内産志向が強くなり,2003年に「構造改革特区制度」が施行され,ワイン製造関連の最大の規制緩和策としては,酒造免許取得時の最低製造数量を大幅に引き下げた「ワイン特区」(2008年)が施行された。2015年には国税庁が「果実酒等の製法品質表示基準」を制定して,原料が国産ぶどう100%の「日本ワイン」と「その他のワイン」(国内製造であるが,原料は外国産もしくは国産とのブレンド)を明確に区別することとなり2018年から運用が開始されている。これらが近年の小規模ワイナリー急増の政策的背景となっている。
第3に,「ワイン産業の二層構造化」である。すなわち,低価格で日常品としてのワイン製造を主とする大手ワインメーカーと,嗜好品としての個性的なワイン製造を行う小規模ワイナリーとが競合ではなく,それぞれが異なる購買層を獲得,共存する形に産業構造が変容しつつある。
日本では年間生産量が5,000㎘以上の大手ワインメーカー5社で国内製造ワインの約75%を占め,残りの25%を約300社が占める構造となっている。大手5社では,原料ぶどうの不足から,海外から濃縮ぶどう果汁を輸入し日本で醸造する,或いはワインそのものを輸入し日本で瓶詰めする等により日本ワインとブレンドし,安価な“国産ワイン”として製造・販売をすることで規模を拡大している。醸造メーカーは農地法の規制により自社農園を持ちにくく,原料ぶどうの増産が困難で契約栽培農家も安価なワイン用ぶどうの生産には前向きではなかった等の背景もあり,5社の輸入濃縮果汁使用割合は95%に及ぶ。一方で,嗜好品としてワインを購入する客層は,国産ぶどうを使用した個性的な小規模ワイナリーの単価の高い製品を購入する傾向が強い。
第4に,日本ワインの7割を生産する3産地(山梨県,長野県,北海道)の産地形成プロセスの相違である。
山梨県は,江戸時代から水田に不向きな土地に養蚕用の桑や果樹を植えていたが,特に勝沼地域では従来から自生していたぶどうに着目し,明治に入り殖産興業の一環としてワイン製造が始まっていた。現在は国内ワイン生産量の30%強を生産する第1位の産地となっている。長野県は,明治になって開拓が進み農地が拡大したが,水田に不向きな土地は殖産興業の一環としてぶどうと桑の栽培が奨励されていた。昭和初期に寿屋(現サントリー)と大黒葡萄酒(現メルシャン)の工場を誘致し,地元農家の栽培したぶどうを大手2社がワインとして醸造する体制が作られ,現在は約25%を生産する第2位のワイン産地となっている。北海道は,開拓使がぶどう栽培を開始しワイン製造を始めたが,寒冷地であるためヨーロッパ種のぶどう栽培に適さず,やがて廃業に至った。1960年代になって公営のワイナリーが開設され,ワイン製造が再開され,2000年以降ぶどう栽培に適した気候風土,畑地の単価が安く必要な広さの土地を確保しやすい等の地理的・歴史的優位性から,急速に産地が形成され,現在約15%を生産する第3位の新興産地となっている。
第5に,日本におけるワイナリー経営の多様性である。①自社管理畑の面積の大小および栽培開始からの年数により経営実態が異なることが明らかになった。伝統産地である山梨県は,そもそも自社管理畑の面積は小さく細分化されており,他のぶどう畑から原料ぶどうを購入しワインを製造している。一方,新興産地である北海道は,自社管理畑の面積は広いものの,ぶどうの生育が十分でない等の理由により,自社畑で十分な量のぶどうを収穫することができず,不足分を他の栽培農家から購入する傾向がある。長野県は,県内に伝統産地と新興産地が混在するため,山梨県と北海道の両方の性格を合わせ持っている。②ぶどう栽培やワイン醸造に関して産官学の連携が重要であり,山梨県や長野県では連携が進んでいるのに対して,北海道は大手メーカーが存在せず大学を含めた研究機関も少ないため,知識・技術の蓄積に乏しい点が課題であることが明らかになった。③起業動機が「創業者の夢や生きがい」が第1位となっている点は,3道県に共通して見られた特徴であり,特に2000年以降に起業したワイナリーに顕著であった。④経営方針については,それぞれの道県において違いが見られ,山梨県と北海道は半数のワイナリーが「現状維持」を志向し,長野県は6割が「規模拡大」志向であった。⑤輸出志向に関しては,山梨県,長野県は2割以上あるのに対し,北海道は1割以下となっており,伝統産地と新興産地における経営方針の差異が見受けられた。
第6に,新興産地である北海道における小規模ワイナリーの特性である。①新規参入者のワイン造りの主たる目的は,営利の追求ではなく夢や生きがいの実現にある。②多くのワイナリーで経営多角化(6次産業化,観光農園化等)の展開がなされている。③産地形成の牽引役ともいうべきインキュベーターが存在し,新規参入者に対する栽培指導や受託醸造を通じてぶどう栽培及びワイン醸造技術の共有等の機能を有している。また,新規参入者の多くは資金調達面での経営課題を抱えているが,今後の持続的経営実現のために,技術向上・後継者育成・ワイン文化の普及等の取組みを重視しながら,多様な経営展開を図っている。
以上の分析から,北海道で進む小規模ワイナリーの産地化に見られるように,営利以前に夢や生きがいを動機とする起業が成立し得ること,小規模ワイナリーの起業手法は,日本における新たな地域経済活性化の手法としても有効となり得ること,一方で,個々のワイナリーレベルでは経営の多角化や技術の相互支援・協力を行っているが,資金,設備等の所有資源には脆弱さが伴っていることから,ワイン産地として定着,発展していくためには,産官学連携によるぶどう栽培やワイン醸造の技術支援などの支援システムの構築が求められること等が明らかになった。