植物組織培養における代謝産物の新規誘導法の開発
概要
1. 背景
天然由来の生物活性化合物は創薬リード化合物として有望視されており、現在用いられている医薬品の 7 割以上が天然由来化合物に関係している (Newman et al., 2016)。それら天然由来化合物の探索源として、植物は、ゲノムサイズが大きいため、多様な化合物を取得できる可能性が期待されている。実際、多くの生物活性化合物が植物から単離されており、ケシの乳液からのモルヒネやタイヘイヨウイチイの樹皮からのタキソールを始めとする医薬品が生み出されている。しかしながら、近年、新規に発見される天然由来の低分子生物活性化合物は減少の傾向を示しており (Newman et al., 2016)、植物においても新規化合物を取得する新たな方法が必要とされている。
一方で、植物から単離された低分子生物活性化合物の中には、植物で生産されにくいため少量しか得ることができず、その構造が複雑なため有機合成が難しい化合物も多く存在する。また、植物は生育に時間がかかり、生育条件により得られる化合物が変化するという難点もある。この点、植物培養細胞・培養根は原植物に比べ生育の速いものも多く、物理・化学的な培養条件のコントロールが容易であり、培養条件を最適化することによって収量の向上が期待できる。
しかしながら、培養温度や光の有無、培地組成、成長調節因子や目的とする代謝産物の前駆体の添加、などの様々な方法が試みられてきたにも関わらず、ニチニチソウ(Catharanthus roseus)原植物では生産されている vincristine のように、植物培養細胞・培養根での生産に成功していない化合物もある (Verpoorte et al., 2002)。それゆえ、植物培養細胞・培養根には多くの発現していない遺伝子が残されていると考えられ、現在までに開発されてきた方法が、十二分にその潜在能力を引き出しているとは言い難い。以上のことから、植物培養細胞・培養根の代謝産物の誘導、生産量の向上のための新たな方法が必要とされている。
2. DNA 転写制御
クロマチンには強く折り畳まれているヘテロクロマチンと緩く折り畳まれているユークロマチ ン領域があり、ユークロマチン領域では遺伝子の転写が活発である。クロマチンの状態は、ヒス トンのアミノ末端領域に対するアセチル化や DNA を構成する塩基の一つであるシトシンのメチル化といった様々な修飾によって制御されていることが明らかになっている。ヒストンアセチル 基転移酵素 (HAT) によりヒストンのアミノ残基がアセチル化されると塩基性のタンパク質であ るヒストンのプラスの電荷が弱まり、酸性である DNA との結合が弱くなりユークロマチンに誘導され、ヒストンがヒストン脱アセチル化酵素 (HDAC) により脱アセチル化されるとプラスの電荷が回復し、ヘテロクロマチンに誘導される (Allis et al., 2016)。また、HAT のブロモドメインとアセチル化されたリシンの相互作用による、アセチル化によるクロマチンの転写制御の機構も 明らかになっている(Dhalluin et al., 1999)。
本研究では、HDAC 阻害剤である suberohydroxamic acid (SBHA) を用いて、ヒストンの脱アセチル化の阻害によりユークロマチンの割合を高め、人為的に植物培養細胞・培養根の遺伝子の転写を活発にすることで、化合物の生産を促す方法の確立を目指した。
3. スクリーニング
ボタン科ボタン属ボタン(Paeonia suffruticosa)、ユキノシタ科アジサイ属アマチャ
(Hydrangea macrophylla var. thunbergii)、セリ科ミシマサイコ属ミシマサイコ(Bupleurum falcatum)、ミカン科サンショウ属サンショウ(Zanthoxylum piperitum)、ボタン科ボタン属シャクヤク(Paeonia lactiflora)の計 5 種の培養細胞とヤマトリカブト(Aconitum japonicum var. montanum)の培養根を、500 µM SBHAを添加した NK 培地(Murashige and Skoog 培地、α-naphthylacetic acid 1 mg/L、kinetin 0.1 mg/L)、もしくは非添加の NK 培地にて 4 週間培養した。それぞれの培地と培養細胞もしくは培養根のメタノール抽出物について、HPLC (UV 210 nm 検出) により、SBHA 添加および非添加の条件で生産される化合物の変化を確認した。SBHA を添加して培養した 6 種のうち、アマチャとミシマサイコの培養細胞、ヤマトリカブトの培養根の培地中とメタノール抽出物において不添加の培養細胞、培養根と比較して新たな化合物の生産が確認された。
4. ミシマサイコ
ミシマサイコで SBHA により生産が誘導された化合物の単離
ミシマサイコの培養細胞のメタノール抽出物を HPLC 分析を指標に各種クロマトグラフィーにより精製し、SBHA の添加により新たに生産された化合物 1-4 を得た。質量分析、各種 NMR 解析と文献値から化合物 1-4 の構造を決定した。このうち、化合物 2, 3 は新規化合物であった。
化合物 1-4 の最適生産条件の検討
ミシマサイコの培養細胞を SBHA の添加濃度を 150-1500 μM まで、培養期間を 2-6 週間まで変化させて培養した。化合物 2 と 3 は SBHA の終濃度 150 μM のとき、化合物 1 と 4 はSBHA の終濃度 500 μM のとき、生産量が最高であった。化合物 1 は 4 週間、化合物 2-4 は6 週間の培養を行ったとき、生産量が最大であった。
化合物 1-4 の植物ホルモン調節による生産の検討
SBHA によるピークの生産の誘導の特異性を確かめるため、代表的なストレス応答ホルモンである methyl jasmonate (MeJA)、abscisic acid (ABA)、salicylic acid (SA) による化合物 1-4 の誘導の可能性について検討した。MeJA 0.075-0.75 mM を添加した培地では化合物 2, 4 の生産が確認された。ABA 0.38-38 μM を添加した培地では、再現性の良いデータは得られなかった。SA 0.50-5.0 mM を添加した培地では化合物 1-4 の生産は確認されなかった。
5. ヤマトリカブト
ヤマトリカブトで SBHA により生産が誘導された化合物の単離
SBHA によって 16 個のピークの誘導が確認された。ヤマトリカブトの培養根のメタノール抽出物を HPLC 分析を指標に各種クロマトグラフィーにより精製し、SBHA の添加により約 37倍に生産が向上した化合物 5 を得た。質量分析、各種 NMR 解析と文献値から化合物 5 の構造を同定した。また、精製の過程で、既知化合物 6-13 を得た。
化合物 5 の最適生産条件の検討
ヤマトリカブトの培養根を SBHA の添加濃度を 150-1500 µM まで、培養期間を 2-6 週間まで変化させて培養した。生産の誘導が観測されたピークのうち、化合物 5 は SBHA の終濃度 500-1500 µM で 4 週間の培養を行ったとき、生産量が最大であった。SBHA の添加により新たに生産されたピーク 16 本全体でも、500-1500 µM SBHA、4 週間の培養で高い生産量を示し た。
化合物 5 の植物ホルモン調節による生産の検討
MeJA、ABA、SA を添加した培地を用いて、ストレス応答ホルモンによる化合物 5 の誘導の可能性について検討した。このうち、MeJA 0.075-7.5 mM を添加した培地では化合物 5 の生産は観測されなかった。ABA 0.38-38 μM を添加した培地では、化合物 5 の生産が確認されたが、再現性の良いデータは得られなかった。SA 0.5 mM を添加した培地では、化合物 5 の生産が確認された。SBHA によって誘導された 16 本のピークのうち 5 本のピークは MeJA によっ て、8 本のピークは ABA によって、3 本のピークは SA によっても誘導された。この結果より、SBHA はストレス応答ホルモンとは違う生合成経路を誘導することが示された。
6. 結論
6 種の植物について、エピジェネティクス制御剤である SBHA による化合物の生産誘導を試み、3 種の植物で SBHA 不添加の培養細胞、培養根と比較して新たな化合物の生産が確認された。また、新規化合物の取得に成功したことより、SBHA の添加が新規化合物の取得に有用であることを示した。さらに、強い抗菌活性をもつ既知化合物についても生産量の向上を示した。植物からの生物活性化合物の探索・利用において、この方法を用いることで、多様な遺伝子を含んでいる植物の潜在能力を引き出し、新たな生物活性化合物が発見・利用されることを期待する。