リュウキュウクチキゴキブリの生態学的研究 : 配偶行動と種間関係
概要
交配に際して交尾相手を食べる現象は性的共食いと呼ばれ、既知の例では、メスがオスを捕食することが多く、片方の個体が相手を食べて死に至らしめるのが通例である。申請者が研究の対象としたリュウキュウクチキゴキブリ Salganea tiwanensis ryukyuanus における性的共食いは、既知の例とは全く異なり交尾ペアが相手の翅を相互に食べる。その際、翅はその付け根付近まで食われ、食われた後の翅は飛翔という翅の機能を果たさなくなる。申請者は、まず野外条件下において発見されるペアのほとんどが翅を食われた状態であることを発見して翅の食い合いが本種における普通の現象であると考えられることを示した。申請者はさらに、飼育方法を改良し室内での観察がこれまでに比べて容易かつ確実に行える方法を確立した。この方法も使って、室内で交尾ペア間の翅の食い合いを観察し、その過程を明らかにした。明らかとなった点の中には、翅の食い合いが休止期に挟まれたいくつかの期間で起こることや食われる側は食う側の方に体を傾ける行動を行うことなどが含まれる。前者の休止期の介在は、性的共食いの既知の例において食い始めてから食われる側が死亡するに至るまでの過程と著しい対照を成しており、性的共食いにおいてはこれまでに知られていない特徴である。後者の、相手側に体を傾ける行動は、食うことを容易にする共食いへの協力的な行動であることが示唆され、共食いにおいて食う側に食われる側が協力して食われやすくしている可能性が高い。それらの点も含め、本種の翅の食い合いにおいては、行動的特徴が既知の性的共食いとは大きく異なることが明らかにされ、これまで性的共食いなどに対して考えられてきた適応的意義とは全く異なる適応上の利益に基づくものと考えられる。本種における交尾ペアは朽ち木に穿孔してそこで繁殖し、両親で子の養育を行う。本種は、交尾ペアは生涯を通してその相手と繁殖する、遺伝的な意味でも厳密な、生涯を通じての一夫一妻であると考えられている。この状況では、交尾ペアの両個体の適応上の利害は一致すると理論的に考えられる。これまで性的共食いに関しては、利害が少なくとも部分的には対立するような状況であることが想定されてきた。申請者は、これまでに性的共食いについて考えられたのとは大きく異なる適応上の利益についての仮説を検討した。交尾行動や繁殖行動の適応と進化の研究で想定されてきたような、交尾相手の以外の個体と少なくとも潜在的な交尾機会をを持つこと前提とした状況と、本種では対照的であることが考えられる。そうであれば、交尾相手の間の関係において、本種では、いったんペア関係が成立した後は競争的な力が働かず、別の力によりペアの個体間の関係が進化してきたと考えられる。そこで、本種は他の生物が交尾や繁殖においてどれだけ交尾相手の以外の個体との少なくとも潜在的な交尾機会の存在や競争的な要因の影響を受けているのかを示す上でも重要な存在である可能性が高い。
申請者の研究は、性的共食いとそれに関連する現象において、まったく新しいタイプのものを発見しただけではなく、交尾行動や繁殖行動の進化と適応の研究においても大きな意義を持つと考えられるものである。 また、申請者は野外でのコロニーが生息する朽木における種間関係についても新たな種の介在を発見している。
以上の結果は、博士(理学)の学位に値するものと認める。