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ぶどうの生産量日本一を誇り、約90もの個性的なワイナリーが点在する山梨県には、ワインを専門とした教育・研究機関「山梨大学ワイン科学研究センター」があります。
山梨大学ワイン科学研究センターの歴史は古く、設立は戦後すぐの1947年。70年以上に渡りブドウ栽培やワイン醸造に関する研究を続けてきました。ワインと一口に言っても、さまざまな分野の研究が関連しており、免疫学、細菌学や醸造学、細胞工学などさまざまなテクノロジーがワイン研究に役立てられています。
「研究のすべては地元・山梨のために行われている」と語るセンター長の鈴木俊二先生に、センターでのワイン研究や、研究者たちの奮闘について伺いました。
70年以上前からワイン研究に特化
―山梨大学ワイン研究センターの歴史は古いと伺っています。どのような経緯で設立されたのでしょうか?
設立は1947年、終戦から2年後です。もともと山梨県は、明治時代からブドウの栽培とワイン産業が根付いていました。戦後、「ワインを専門的に研究ができる施設がほしい」と当時の大蔵大臣だった石橋湛山が中心となって、山梨工業専門学校応用化学科の中に「醗酵研究所」として誕生したのです。
背景には、世界に対抗できるワインをつくることで、山梨県のワイン産業に従事する人たちを豊かにしたいという思いがありました。もっといえば、日本の産業基盤を科学の力でサポートし、日本を豊かにしたかったのです。
―日本で唯一のワインに特化した研究所だったそうですね。
海外の大学にはワインサイエンスやViticulture and Oenology(ブドウ栽培と醸造学)を学べる学部が当たり前のようにありますが、日本では長らく山梨大学が唯一の教育・研究拠点でした。近年は北海道大学や福島大学などでもワイン研究を行っています。他のお酒では、新潟大学に日本酒学センター、鹿児島大学に焼酎・発酵学教育センターがあります。各地域で対象を絞り、課題を解決するために研究をすることは、地方大学の一つの役割であると考えています。
ブドウ栽培、醸造、評価すべてが研究対象
―どのようなテーマで研究を行っているのですか?
研究テーマは大きく分けて、「ブドウ栽培」、「ワイン醸造」、「ワイン評価」の3つの柱に分かれています。もともとワイナリーや公的機関で働いていた現場出身の教員と、全く異なる分野からやってきてワイン研究をする教員がいます。
「ブドウ栽培」のテーマでは、山梨県の気候にあった品種の育成や育種を研究しています。例えば、研究テーマの一つに、「温暖化対策」があります。山梨県における温暖化は深刻で、年々ブドウの色づきが悪くなっています。県内における畑も、冷涼な八ヶ岳の麓に移動していますし、昔は考えられませんでしたが、今では北海道で盛んにブドウが栽培されています。そんな中で、ブドウの品質を維持するための技術開発も行っています。
― 「ワイン醸造」というテーマでは、どんな研究が行われていますか?
「ワイン醸造」では、醸造プロセスに着目した研究を行っています。ワインづくりは、ブドウと酵母しか使いませんが、そこで個性を発揮するのが酵母です。なので、新しい発酵力を持つ酵母を探索して、新たな醸造法の開発に取り組んでいます。
「ワイン評価」については、ビンテージワインを想像していただくと分かりやすいかもしれません。例えば、「熟成されたワインで、まろやかで渋みが少ない」など、ワインの評価につながる味や色、香りは、どういう物質のどういう現象によるものなのか。そしてそれはどんな変化で起こっているのかを、物質レベルで研究しています。
― ひとくちにワイン研究といっても、栽培から製造・評価までとなるといろんな学問分野からの切り口が考えられそうですね。
そうですね、ユニークなところでは、製薬に使われる微生物を、ワインづくりでも活かせないかと研究している先生がいます。他にも、乳酸菌が専門の先生は「マロラクティック発酵」と呼ばれる、ワインをまろやかに、強い酸味をなくすために使う技術を研究しています。他にも、ワインと相性の良い香り物質やブドウの品種を日々、探索しています。
細胞工学、遺伝子工学の専門家もいます。「甲州」という日本固有の白ワイン醸造用ブドウの品種があるのですが、僕らはこのゲノムをすべて解読しています。これまで品種の特性解析は、栽培方法や土地の気候や土の状態といった観点で行われてきたのですが、現在は遺伝子を解読することで品種を理解しようとしています。解読の結果、「甲州」には「糖」「酸」「香り」をつくるための遺伝子が足りていないことが分かりました。つまりこれまで行ってきた「糖」を上げるための栽培作業は無駄に近くなると分かったのです。こうした研究結果は、栽培作業の効率化に役立っています。
ウイルスや病気からブドウを守る、植物病理学の世界
― 鈴木先生のご専門は何ですか?また、どんなきっかけでこちらの研究センターに来られたのですか?
もともと愛媛大学医学部で「免疫」について研究していました。その後、「ブドウの病気の研究」について知り、おもしろそうだと山梨大学にやってきたのが17年前です。出身は農学部で、いろんな作物の病気について研究をしてきたのですが、研究の対象をワインに絞ったら、もっと深く入り込めるんじゃないかと思ったのです。
― 先生は、ブドウの栽培を中心に研究されていらっしゃるのですね。
「山梨大学ワイン(メルロー)」を開発したときのお話をしましょう。あるワイナリーと共同で開発したのですが、そのときに上がった課題は「減農薬」でした。
ブドウは、垣根栽培の場合、1本の樹から1年で30房程度しか収穫できませんが、その分、50年〜100年もの間、採り続けることができます。ところが、ブドウの樹は一度病気にかかると枯れてしまいます。そのため、1本1本の樹を守るためには農薬が必要で、週に1回程度散布する必要がありました。
なるべく農薬を減らしたい。でも、減らしすぎると病気になってしまう。さらに気候は毎年が異なるため、予測が難しい。そんな厳しい条件のなか、病気に強く、減農薬を実現させたブドウをつくり、そのブドウで山梨大学ワイン(メルロー)を作りました。
― 専門以外の分野の知見を用いることはありますか?
もちろんあります。例えば先ほどお話しした「細胞工学」。人間界でコロナウイルスが流行したように、ブドウにもウイルスがあります。しかし、ブドウのウイルスには、対抗するための農薬はありませんでした。そこで小さな細胞をとってきて顕微鏡下で培養することで、ウイルスゼロの苗木をつくろうとしています。日本だけでなく世界においても、細胞工学を利用して「病気に強いブドウ」や、「温暖化に強いブドウ」といった育種は今後も加速していくでしょう。
― お話を伺っているとブドウ栽培の難しさは「気候」にあるようです。なぜハウス栽培をしないのですか?
「テロワール」という言葉をご存知ですか?ブドウが育つ自然環境要因のことをいいます。土地と、気候と、人。3つの力でワインの特性は決まります。その土地で、その気候で、その土地に根付いた固有のブドウでワインをつくることが重要なのです。つまり、僕らはこの「山梨」という土地の制約のもとで研究を行い、山梨県のワイン産業の基盤をつくることが使命なのです。海外のブドウ品種の研究も行いますが、山梨のワイン産業を守るためにも、「甲州」といった1000年もの歴史がある固有品種が私の研究の中心になっています。
― 日本ワインというよりも、山梨ワインに特化した研究を行っていることがよく分かりました。地域とはどのように関わっていますか?
「栽培」をテーマとする研究では、農家さんやワイナリーさんから上がってきた課題に対して、一緒に解決方法を考えています。「醸造」や「評価」でも、ワイナリーとの共同開発などで、疑問や課題を一緒に解決しています。うまくいけば、「山梨大学ワイン(メルロー)」のような商品化にもつながります。この3月にも3種類の新作「山梨大学ワイン」が誕生しました。山梨大学は県のど真ん中にある甲府市に位置しているので、東は勝沼、北西は北杜市まで、全県いろんなところに足を運んでいます。
純粋にワインを知りたい。答えのない問いへの挑戦
― 研究センターで学ぶ生徒さんはどんな方が多いのでしょうか?
学部生では、食品業界や農業に興味のある学生が多いです。実家がワイナリーの人も居ます。修士課程になると、15〜16名の学生のうち半分は他大学からやってきます。「つくりたい」という動機でやってくる人もいれば、「商社、販売、卸し」に興味を持つ学生もいます。社会人教育課程では、ワイナリーに勤める方やブドウ農家の方が多くいます。基本的には県内からですが、なかには長野や東京から通う方もいます。そこまでして学びたいという意欲を嬉しく思っています。
― 卒業後の進路はどうですか?
ワイナリーやインポーター(商社)へ進む方と、市や県の公務員になる方がいます。公務員を選ぶのは、ワイン産業が地域振興事業だからでしょう。大手のワイナリーでは、栽培課や製造課で専門領域を極めることができたり、海外に出向したりと多様なキャリアが広がっています。一方、小さな家族経営のワイナリーでは、栽培から醸造までぜんぶ自分の手でワインをつくりたい人に向いているかもしれません。
博士を取得したある卒業生は、米国に渡りUSDAという米国農務省でブドウの病気の研究をしています。フランスの大学院に進む方もいれば、卒業後にワーキングホリデーをしながら世界中の産地やワイナリーをめぐって、現地を見学する方もいますね。現在、修士課程で学んでいる学生さんは夏の間、1ヶ月間フランスに渡って、ブドウの収穫体験をしたそうです。日本の常識は世界の常識ではない場合が多いですから、世界から学べることもたくさんあると思います。
― 最後に、鈴木先生にとって、ワインを科学することの魅力について教えてください。
僕ら研究者は結局、知的好奇心を満たしたいだけなのだと思います。その先に、良いワインを作りたい、地域貢献したい、という想いがある。
知的好奇心とは何かというと、「ワインとは何かを知りたい」ということです。ワインの世界に飛び込んで17年ほどになりますが、僕は今、「ワインを科学することは永遠に終わらないだろう」と思っています。「気候が良かったら良いワインができる」と言われていたのに、一昨年は気候が良かったのに上手くいかなかった。予測ができないんです。
僕は一生、終わらないことに手を出しているんだなぁ、答えのないところに対して挑んでいるんだなぁと改めて思うところです。そこが面白さですね。僕が参画した20年近く前には、地球温暖化はホットな課題ではありませんでした。10年、20年後には、また新たな課題が出てきて、また答えのない問いに挑むのだと思います。
取材を終えて
ワイン研究といってもいろんな切り口があること、自分の得意な分野から入って、総合的にワインづくりが学べるのが専門研究所のメリットだと感じました。すごくいい研究環境なので、ワイン好き、ワインを科学的に解明して美味しいワインを作りたい!と思う方はぜひ門戸をたたいてみてはいかがでしょうか?
鈴木センター長、貴重なお話をありがとうございました。
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