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海水魚と淡水魚が同じ水槽で育成できる魔法の水「好適環境水」を用いて、幻の高級魚ともいわれている「タマカイ」の陸上養殖に世界で初めて成功したとのニュースが今年(2024年)2月に報じられました(※)。
好適環境水での養殖は、成長が早く、病気のリスクが抑えられ、「陸上養殖」の名の通り、場所を問わず海を汚さないなど、そのメリットの多さから、日本のみならず、食料不足に悩む世界各国から注目されています。
常識を覆す養殖法の開発に成功した、岡山理科大学の山本俊政准教授にお話を伺いました。
※ https://www.ous.ac.jp/topics/detail.php?id=4195&cat=6
海水不足から生まれた好適環境水のアイデア
── まず、先生が開発された好適環境水について教えてください。
山本:淡水魚と海水魚が共生できる人工飼育水です。成分はナトリウム、カリウム、カルシウムなどの3種のミネラルのみ。魚の飼育に用いる海水の代替品として開発し、海水よりも安価で提供できるように設計しています。水と電気さえあれば、ろ過しながら使って、最大約3年持ちます。
── なぜ好適環境水を開発しようと思われたのでしょうか。
山本:研究に使う慢性的な海水不足の解消のためでした。岡山理科大学は山間にあり、私が週に2回海水をくみに行っていました。けれどもすぐになくなってしまい、学生同士で海水の取り合いになってしまうのです。「海水は血の一滴に値する」と標語を掲げるほど厳しい研究環境でした。それでプランクトン培養したあとの臭い水を、浄化して再生する試みをしていました。
── そこからなぜ好適環境水に?
山本:ある日、一人の学生から突飛な相談を持ちかけられました。「海水プランクトン(シオミズツボワムシ)を淡水で育てたい」と言うのです。きっと失敗するけれども、あまりに熱心なものだから、その経験が学びになるだろうと任せてみることにしました。
すると、大成功してしまったのです。おかしいなと、もう一度実験させてみると案の定失敗しました。
「これは追求する価値ある研究の予兆!」と感じ、条件の差異を緻密に調べたところ、培養タンクにわずかに海水が残っていたことが判明しました。つまり、海水プランクトンが、ごく薄い海水で生育できる可能性が見えたのです。初回のサンプルの環境を再現するのに約1カ月要しましたが、ほとんどの海水プランクトンが生育できる海水濃度を確定しました。
── 始まりはプランクトン培養だったのですね!
山本:この薄い海水を魚にも応用できるかもしれないと考え、研究室で種苗生産していたマダイ、オニオコゼ、クマノミを用いた実験を開始しました。しかし、プランクトンと魚では体の構造が大きく異なります。薄めた海水に入れたらすぐに死んでしまいました。そこで、それぞれの海水魚が生育できる水の組成を明らかにしようと、元素の種類や構成条件を少しずつ変えて実験し、消去法で絞っていきました。
── 海水を分析して組成を導いたのではなく、実験から最適な条件を見いだしたのですね。
山本:海水魚といっても魚ごとに個性や特徴があり、理解するのに最低でも1年は要します。水槽の魚が全滅する毎日で、研究室に行く足取りが重くなったものです。先行研究もなく、終わりの見えない険しい道のりでしたが、ついに魚の生育に最低限必要な成分が主にナトリウム、カリウム、カルシウムなどであることを明らかにし、さらに最適な構成比を見つけ出しました。それが好適環境水です。まるで砂漠の中から1粒の金を探すような日々でした。
── あきらめずにやり遂げられたのですね。
山本:新しい黄金の扉を見つけるまではいつも茨の道なんです。もうだめかもしれないと感じることもある。ですが、常に興味(好奇心)が上まわるんですね。苦しみ半分楽しさいっぱいという感じです。今は、ウニの好適環境水実験を行っています。もしかすると近い将来、金魚とウニが同居するかもしれません。私自身も分からない世界初のことに取り組んでいるので、学生もおもしろがって取り組んでくれていると思います。
メリット多数の好適環境水による陸上養殖
── 好適環境水での養殖にはどのようなメリットがありますか?
山本:当初は海水の代替品として開発した好適環境水ですが、徐々に海水を越えるメリットを持つことが分かってきました。
1つ目のメリットは、環境ストレスの低減です。実は魚は、海水の中でストレスを感じています。血液で魚のストレスを測ると(血中ヒートショックプロテイン70/HSP70というストレスマーカー)、海水から好適環境水へ移して4週間で、60ポイントもHSPが減少しました。
ストレスの原因は大きく分けて塩分と病気です。海水魚は浸透圧を調整して不要な塩分を体外に排出していますが、そのとき多くのエネルギーを消費します。好適環境水は淡水魚が住めるくらい塩分濃度が薄くエネルギー消費が抑えられるので、海水で暮らすよりも、早く成長します。例えば、宮崎県都農町で行ったタマカイの養殖プロジェクト(後述)では、通常の海水よりも3.1倍も大きく育ちました。
また、好適環境水中では寄生虫・ウイルス・細菌感染のリスクが少なく、魚病薬を使用しないため、安心して生食できる魚類養殖が可能です。
2つ目のメリットは、場所の問題です。好適環境水を使えば、海のない内陸地や気象条件の厳しい南極でも養殖が可能です。ただし、陸上養殖におけるコストの約半分は、ろ過装置や水温調節に使う電気代なので、再生可能エネルギーが余剰の地域や、化学プラントの排熱などを有効活用する(CO₂プラスにならない場所で導入する)と、大変効率的です。
最近は気候変動により海水温の上昇が魚類に深刻なダメージを与えています。自然界で枯渇しているもの、養殖しにくいもの、海水で育たなくなったもの、という観点で、それぞれの地域の意向とマッチする品種の養殖が可能です。
── 水はどのくらいの頻度で交換するのですか?
山本:好適環境水での養殖では、先に述べたように、水は最大で約3年間替えなくても大丈夫です。硝酸態窒素を分解してくれる微生物を土壌中から探し出し、ろ過装置を併設した循環型の養殖システムとなっています。プランクトンを飼育した水を何とか再利用できないかと試行錯誤を重ねた経験が生きています。
工学から水産の世界に飛び込んで起きたイノベーション
── 必要は発明の母という言葉がありますが、好適環境水はそういった中から生まれたのですね。
山本:そうですね、山の中にある施設で水産の研究に取り組まなければならない。しかし、そのような色々な制約のある環境下で試行錯誤を繰り返して突破していった積み重ねがこうした成果につながったのだと思います。
── ところで先生はどうして魚を研究しようと思われたのですか?
山本:実は最初の専門はレアメタル、レアアース、希少金属を中心としたベースメタルの効率的な抽出技術でした。
── 魚からものすごく遠い分野ですね!
山本:工業分野は当時の花形だったのです。ですが、実は私は漁業の家で育ち、子供のころから魚が生活の一部だったのです。だから自分の魂の中では魚に鮮烈な思いがあったのだと思います。並々ならない魚への興味から、私のアイデンティティは漁業者なのだと自覚し、今のキャリアにつながる仕事へ転身しました。
── 畑違いの分野からの転身、尊敬します。
山本:水産出身ではないので、水産の常識を知らなかった。だから失敗も沢山ありましたが、思い切ったチャレンジができたのだと思います。好適環境水の完成に至るまでには、常識と思っていたことが実は非常識、非常識と思っていたことが実は常識、という発見がいくつもありました。常識と非常識の曖昧さの中に真実がある…ということです。それに、好適環境水には化学プラント技術、分析化学が大きく役立ちましたので、自分がやってきたことは無駄ではありませんでした。
── 異分野の知見や方法を取り入れることで、新しい漁業のやり方を見出されたのですね。
山本:我々は工学を駆使して、魚を育てようとしています。自分たちで水を作って回して浄化してまた作る未来型養殖です。温暖化で水温が上昇し、今後海に頼れなくなってくると今までのやり方が通用しなくなってきます。飢えない世界を作る、というのが私の研究の目的です。
海のないモンゴルでの養殖プロジェクト
── 好適環境水での養殖は世界からも注目されていると伺いました。
山本:人口増加、異常気象、海洋資源の減少、国際情勢の変化なども要因となり、海外からの問い合わせは非常に増えています。2009年から量産化研究を始めていますが、あまりにも常識から外れた研究だったため、初めは訝しまれることも少なくありませんでした。成功を重ねるにつれて、次第に国内外から注目されるようになりました。
── 海外でも好適環境水の養殖が行われているのですか。
山本:JICAと共同で、カンボジアでのエビ養殖プロジェクトを成功させ、次に取り組んだのは砂漠の内陸国・モンゴルです。冬は-45℃まで冷え込みますが、火力発電所由来の蒸気によるセントラルヒーティングシステムが整っており、成長が早く甘い白身が特長の「タイガーGG(タマカイ×アカマダラハタの交雑種)」を対象魚として、2019年9月に養殖を開始しました。
ところが翌年の新型コロナウイルスにより、我々日本人は現地を撤退せざるを得ず、モンゴル人スタッフ・アマルチュフシン(アマル)さん、たった一人に現場を託すことになりました。モンゴル初の水産研究者である彼は、私の研究室に10カ月留学したにすぎず、経験豊富なわけではありません。にもかかわらず、やりとげてくれました。ロックダウンで外出禁止なのであればと、彼は養殖場に居を移し、泊まり込みで作業してくれていたのです。魚の餌も十分に届かないなか、チャットで水槽の様子や水質のデータを送ってくれ、リモートで指示を行いました。「山本先生は日本のお父さんです。日本のお父さんが来るまで自分が魚を守るんだ」という一心だったとのことで、思い出すと今でも泣けてきます。タイガーGGの生残率は85%、本当にアマルさんに助けられました。
モンゴルは肉食文化の国ですが、健康志向の高まりで魚を食べる人が増えています。モンゴル国内で育てられた、安全でおいしい魚が受け入れられる日が楽しみです。
養殖を通して地方の課題を解決する!宮崎県都農町での「水産業夢未来プロジェクト」
── 今年発表された、タマカイの養殖についても教えてください。
山本:モンゴルで意図せず「リモート養殖」を実践し、手応えをつかんだ私たちはNTT東日本、NTT西日本、そして宮崎県都農町と共同でタマカイ養殖プロジェクトを立ち上げました。
寄生虫に弱く、養殖が難しいタマカイですが、好適環境水を用いた陸上養殖では約3.1倍の成長スピードと生残率94%を誇り、大成功を収めました。
都農町のオペレーターは養殖未経験の方でしたが、リモートであっても管理可能であることが2つのプロジェクトで立証されました。今後はNTT東日本さんの技術を活用して、養殖のあらゆるデータを採取して中央で監視するなど、経験がなくても誰もが養殖できるシステムを考案中です。
宇宙で新鮮な魚を食べる
── 好適循環水が可能にする未来の姿を教えてください。
山本:山村を漁村にしたい、砂漠で魚を飼いたいと10何年前に言っていました。それが今現実になりつつあります。好適環境水によって、山で野菜を育てながら同時に魚を養殖することも可能になりました。魚の排せつ物を微生物に分解させ、その栄養で植物を育てる「アクアポニックス」です。水は植物の生育で浄化し、循環利用するため排水の必要もありません。こうした漁業と農業の両方を手がける「農漁者(のうぎょしゃ)」を提唱しています。
── 海の魚と野菜を同時に育てられるなんて想像もしていませんでした。
山本:次の一手として、宇宙で魚の養殖と野菜の水耕栽培「スペースアクアカルチャー」に取り組んでいます。これまでNASA、JAXAなど宇宙で食糧生産を行う研究は国際宇宙ステーション内で、水耕栽培による野菜の生産研究のみにとどまっており、動物性タンパク源の持続的な生産研究については、ほとんど行われていません。魚類生産は餌も少なく、早く大きくなるため、優秀な動物性タンパク源の一つとして知られています。乾パン、栄養強化剤などでは食欲の減退となり、メンタル面への影響も無視できません。
古来より魚食民族である日本人として、宇宙でにぎり寿司を味わいたいものです。今後も私たちは、誰もやらない研究を常識にとらわれず進めます。
学生と共に未来へ
── 先生は養殖を通してどのような社会を目指していますか?
山本:研究の目的は社会還元であり、開発した技術の社会実装は大学のひとつの使命です。我々の技術を使っていただいた結果、利益が生まれ社会がより良くなればとてもうれしいです。我々の開発した技術は、遠隔サポートがあれば漁業の経験のない人も、養殖オペレーターとして働けます。雇用が生まれれば人材流出に歯止めがかかり、過疎や財政不足からの転換が期待できます。地方、日本、ひいては世界中の人が幸せな社会を作りたい、その一点です。
── 共感した学生が全国から集まっていると伺っています。
山本:逆風で始まった好適環境水での養殖も、約20年の時を経て多くの仲間を得ることができました。私の研究室には北海道から沖縄まで、全国から学生がやってきます。学生にはあまり口を出さず、できるだけやりたいことをしてもらっています。卒業生は100名を超え、奈良の山間部の天川村でフグの養殖をしているOBをはじめ、フィリピンのセブ島で新規プロジェクトである閉鎖循環式陸上養殖施設のリーダーとして就職が決まっている学生もいます。岡山理科大学で学んだ技術をフルに発揮し、現地雇用の創出と貧困対策に活路を開いてくれると期待しています。
人口増加、気候変動など食料を取り巻く環境はダイナミックに変化しています。食料危機に備える技術を開発して次の世代に継承するため、これからも学生と一緒にまい進していきます。
山本俊政(やまもと としまさ)
岡山理科大学生命科学部生物科学科 准教授
1958年岡山県生まれ。金属総合研究所の研究員を経て、水族館、活魚、観賞魚の水槽設備をあつかう会社を設立。2003年に岡山理科大学専門学校のアクアリウム学科長に就任。魚やサンゴの養殖に携わり、2006年、好適環境水を開発した。2009年より現職。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
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