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第一線で活躍する理系博士たちは、いったいどのような本を読み、そこからどんな影響を受けてきたのでしょうか。ご自身の人生を語る上で外せない書籍・文献との出会いを「人生を変えた私の5冊」と題し紹介いただく本企画。
第10回は、京都大学大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻講師である市川正敏先生。以前にリケラボで川に住む微生物が海まで流されない秘密について、流体力学の視点から語ってくださった市川先生が大きく影響を受けた本の扉を開いてみましょう。
市川 正敏(いちかわ まさとし)
生物物理や化学物理、ソフトマターの物理が専門。2009年より現職、博士(理学)。液晶の物理、高分子の物性などを対象にしてきたが、近年はテトラヒメナ等、生物も対象に物理学的手法で生態の解明を試みる。(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
研究室HP:http://www.chem.scphys.kyoto-u.ac.jp/
COSMOS
小学校4~5年生のときに、星や星雲のカラフルなビジュアルが印象的で、図鑑だと思って手にとりました。3冊以上の分冊だった記憶があるので、当時刊行されていた旺文社版だったと思います。いざ読み始めるとルビ無しの難しい漢字ばかりで、漢字の読みが分かっても国語辞典に意味は載っていません。太陽の輝きは核融合反応によるものであり、核融合反応がエネルギーと様々な物質を生み出しているなど、とても小学生向けとはいえない内容です。なぜ教室の学級文庫に置いてあったのか不明です。
けれども、非常に詳しくて読みごたえもあり、「最後まで読んだら少しはわかるようになるのかな」と読めない漢字を読み飛ばしつつ意地でなんとか完読しました。分からない内容は図書室に行き、色々な本で調べながら理解しようとがんばった記憶があります。物理や天文分野に強い興味を持つようになった源流をたどるとこの本に行き着くかもしれません。
もう少し広い意味で理科や科学そのものに興味を持ったきっかけも考えてみると、6歳くらいのときに母が図書館から借りてきた科学の本までさかのぼります。ページいっぱいに拡大された青い硫酸銅の、その透き通った美しい結晶が印象に残っています。薬剤師の母が話してくれた原子や分子の世界が科学に触れた原点です。図書館や学級文庫といった公共財をきっかけに、一人の子どもが科学へ興味を持ち、研究者の道を進むきっかけとなったことに感謝すると共に、その影響の大きさに驚くばかりです。
『COSMOS』
著者:カール・セーガン
出版:朝日選書
精霊使い エレメンタラー
文明が崩壊した世界を舞台に魔法が飛び交うファンタジー漫画です。高い画力とキャラクターの造形美に定評がある作者ですが、本当に表現したいのは直接表現しにくい人間の感情だと感じます。どちらかというとマイナーな作品で、好きなマンガは他にもたくさんありますが、この作品は精神面への寄与が大きかったため紹介しました。
物語の終盤、主人公にボコボコにされていたサブキャラの言動が非常に印象に残っています。彼は主人公たちに対して抱く嫉妬や羨望、敵愾(てきがい)心と向き合い、「全部に勝つ必要はないのだ。自分の信念を貫くべきところだけ勝てばいい」と悟ります。各種宗教に頻出するテーマでもあり、人類の普遍的な問題なのでしょう。
高校生から大学生くらいの多感な時期に読み、優秀な学友たちに抱く感情をどの様に取り扱うかについて悟り、精神的な安定を得ました。分かりやすい例を上げると、模試でトップを取ることが目的ではなく、ギリギリの成績でも良いから志望校に入り、そこでどのような研究を行うかが重要なのだ、と大局観を持って受験期を過ごせました。人生を変える本との出会いは、内容だけでなくタイミングも大事なファクターなのだと思います。
『精霊使い エレメンタラー』
著者:岡崎武士
出版:講談社
※現在は電子書籍で発売中
ネクタイの数学
ネクタイの結び方(ノット)を数学的な視点から考察した珍しい本です。就職活動などスーツにネクタイでキメる場面も増えるだろうと、大学院に進学した頃に京都市内の本屋で見つけ手に取りました。当時はYouTubeなどもなく、ネクタイの結び方は本や雑誌といった静止画から情報を得るしかありません。それに「おしゃれ」といった感性は人によって異なりますから、理系の人間としては一体どうしたら上手に結べるのか途方に暮れていました。
本書はネクタイの結び方や美しさ(左右対称性)を数学的に解釈した画期的な本といえます。理論を元に、ノットの作成プロセスを単純化し、座標系に並べて整頓したのちに各種ノットを解析・議論しています。本書のおかげでネクタイを美しく結ぶ理論を理解でき、結び方を覚えなくても楽々と結べるようになりました。ノットの歴史的な解説や写真なども充実していて、教養を深める読み物としても興味深い内容です。
本書はケンブリッジ大学の研究員であった著者らの共同研究を元に編纂されています。彼らは談話室でお茶を飲みながらネクタイについて雑談をしているうちに、結び方は数学的に定義できるんじゃないか、と専門分野へと思考を深めていったようです。ネクタイの結び方といった日常生活の延長が研究テーマになりえることを知り、研究における着眼点とテーマ設定の大事さを学びました。本書にインスパイアされ、私もコーヒーの湯気が液面に作る膜の謎にアプローチしてみました。すると思いがけずダイナミックな現象が浮かび上がり、“謎”を解き明かしたという嬉しい体験がありました。
『ネクタイの数学 ―ケンブリッジのダンディな物理学者たち 男性の首に一枚の布を結ぶ85の方法』
著者:トマス・フィンク、ヨン・マオ
翻訳:青木薫
出版:新潮OH!文庫
※版元品切れ
とらドラ
「まさかのライトノベルかよ」と思われるでしょうか。一癖も二癖もある登場人物たちの高校生活、友情、恋愛、それらを追体験する読者……をブン殴る青春活劇です。もっといえば読者は殴られる側ではなく、殴るのを応援する側かもしれません。いわゆるこじれ系ラブコメで、表面的に当たり障りない関係で日々やり過ごしていた登場人物たちが、中盤くらいからだんだんドロドロしてきます。感情がプツンと破綻した瞬間がこの小説の見どころです。とはいっても重たく暗いものではありません。
『とらドラ』を読んで、他人がポロリとこぼした本音には、さまざまな背景やその発言に至るストーリーがあるのだなと気付かされました。現実世界でも相手から投げかけられた言葉に対し、慌てず涼やかに受け止めるメンタルを醸成するきっかけになりました。生きていると人間関係に振り回されることは多々あります。そこでいちいち取り乱さずに、「本音が聞けて興味深いな」とさらりと考えられるようになりました。さらに踏み込むと、相手の本音をもっと知ろうという趣向を私に与えたという意味で、自分の結婚というイベントに最も貢献した本だといえます。ときに本音はその人の人間的な魅力を増幅させますから。
もうひとつ、本書によって意外にも自分が修羅場好きと気づきました。修羅場の当事者にはなりたくありませんが、その状況を俯瞰的に見て“ワクテカ”してしまう新しい自分と出会ってしまいました。
『とらドラ』
著者:竹宮ゆゆこ
出版:KADOKAWA 電撃文庫
非線形科学― 分子集合体のリズムとかたち
最後に恩師である吉川研一先生が執筆した本を紹介します。研究室に配属後、研究者になろうと決めた根底には先生との交流が大きなウェイトを占めており、先生の思想が詰まった本書はまさに直近のキャリアの分岐点といえるでしょう。
本書は20世紀における非線形科学の発展について、吉川先生の研究内容を軸にまとめています。実験結果やメカニズムを数値解析で解明するアプローチは、方程式の解を求める線形代数(数学の科目です)に基づいています。一方で、本書のテーマである非線形科学は、さまざまな要因が影響し合って、ほんのわずかな変化であっても状態が大きく変化し予測が難しい“非”線形事象(複雑系)を何とか理解できるように仕立てる学問です。
最も分かりやすい非線形科学の例を挙げると天気予報です。明日の予報は当たる確率が高いものの、週間天気予報の確度は低下します。バタフライ・エフェクトという言葉を聞いたことがあるかもしれません。「蝶の羽ばたきが遠く離れた地に竜巻を起こす」という例え話の通り、正確な長期予測が非常に難しい現象を扱います。
「非線形科学を学ぶのに適した本」なら他にありますが、本書は量子化学やNMR(核磁気共鳴分析:Nuclear Magnetic Resonance 原子核に電磁波を照射し、化合物の構造を推定する手法)をバックグラウンドに持つ吉川先生が全く異なる非線形科学に取り組み、それ故のユニークな考察、示唆、造詣に富んだ味わい深い1冊です。学生当時はエキセントリックな主張だなぁと思っていたことも、読み返してみると吉川先生のサイエンスに対する見通しの良さとして理解できるようになりました。ちなみに吉川先生は配属先を決定する直前に赴任されたのですが、1ヶ月ずれて研究室枠が無かったら、今頃は全く別の研究をしていたかもしれません。まるで複雑系を表すかのような、小さな偶然が大きく影響を与えた出来事でした。
『非線形科学― 分子集合体のリズムとかたち』
著者:吉川研一
出版:学会出版センター
※絶版本
▼市川正敏先生にご登場いただいた過去記事はこちら
川に住む微生物はなぜ下流に流されない?水流に逆らう微生物の秘密とは~生物流体力学への招待~ | リケラボ
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リケラボ編集部より