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環境・エネルギー問題や食糧問題、貧困、教育等、世界が抱えるさまざまな問題を解決し、全ての人にとってより良い持続可能な社会を実現するための世界共通の目標、SDGs。今や日常的に目にするキーワードになりました。(STI for SDGs)
リケラボでもSDGsにつながる研究成果を積極的に紹介していますが、今回は有機合成の技術で、飢餓をなくすことに挑んでいる事例を紹介します!
農耕に適さない不毛の大地を、化学の力で豊かに変える
「SDGs目標2 飢餓をゼロに」
全世界の陸地の67%は農耕に適さない土地、そのうちの半分がアルカリ性不良土壌で占められています。その一方で人口は増え続け、2050年には100億人にも達し、深刻な食糧危機に陥ることが懸念されています。では、もしこの不良土壌で作物を育てることができたなら?という問題に挑んだのが、徳島大学の難波康祐先生の研究グループです。難波先生は専門である有機合成技術を使い、イネ科の植物が分泌するムギネ酸という物質を利用して、アルカリ性不良土壌でも作物が育つ肥料の開発に成功しました。画期的な肥料なのに、費用も安く作れて、しかも環境にも優しいそうです。
難波先生に、研究の道のりや苦労したこと、そして今後どんな展望が開けているのかをお伺いしました!
複雑な生物活性天然有機化合物を試験管内で作る全合成
私の専門は有機合成化学で、その中でも全合成、天然の生物が作る複雑な有機化合物を試験管やフラスコの中で人工的に作ってみせることが仕事です。これまでに作った化合物の中には医薬品に活用されているものもありますが、私たちが取り組んでいる全合成研究は、何かの目的を果たすためというよりも、もっと純粋に、今までにない合成法を編み出して複雑で難しい天然の化合物を人工的につくること自体を追求しています。今まで生物にしか作れなかった極めて複雑な化合物をフラスコで創れたら、合成化学の限界を突破したことになり、科学が進歩したと言えるからです。ただ、実用的かどうかというのはまた別の話で、全合成を達成したからといってすぐに世の中や人々の暮らしが良くなるということはあまりない。そういう意味では、自己満足の世界に近いと思うこともあります。
そういう学問をずっと追求してきて、分子レベルでのモノづくりの面白さを存分に味わってきましたが、この技術を何か世の中の役に立つことに活かせないかと思い、取り組んだのが今回発表した、ムギネ酸をもとに開発した次世代肥料の研究です。不毛の土地でも植物の成長を可能にすることで、人類を飢餓の危機から救う希望となるはずです。
高価すぎるムギネ酸「安くつくれないか?」研究者魂に火が付いた
植物の成長には鉄が必要で、通常は根から水に溶けている鉄を取り込みます。しかしアルカリ性不良土壌に含まれている鉄は水に溶けない水酸化鉄、いわゆる赤錆のようなものです。水に溶けないので植物は当然取り込めず、鉄欠乏症で枯れてしまいます。海外ではその対応策として、水酸化鉄を溶かす農業用鉄キレート剤を開発し、農耕を成立させています。しかし現状の鉄キレート剤は、分解できずに土壌に残り続けるという課題があります。
一方、植物の中にはアルカリ性土壌でも鉄を取り込めるものがあります。イネ科の植物で、特に大麦はアルカリ土壌に強い植物です。根からムギネ酸という物質を分泌して土壌中の鉄と反応し鉄錯体を形成します。鉄錯体は鉄イオンを溶かすので、それで鉄を取り込むことができるんです。ところが、同じイネ科でもコメやトウモロコシはうまく育ちません。ムギネ酸の分泌が十分ではないからです。それならば、ムギネ酸鉄錯体を人工的に作り、サプリメントのように植物に与えてやればアルカリ性不良土壌でも育つのではないか、というのが研究の出発点でした。大麦だけではなく、イネやトウモロコシといった主食作物がどこでも育つようになれば、食糧増産にとってインパクトが大きくなります。
この研究のきっかけになったのが、私が一時期所属していたサントリー生物有機科学研究所の村田桂子博士です。博士はムギネ酸鉄錯体を取り込むトランスポーターを研究されていましたが、悩みの一つはムギネ酸が1mgで10万円と非常に高価なこと。過去にもムギネ酸の合成を手掛けた研究者はいますが、その価格は未だ高価であり、コストダウンに挑戦する研究もありませんでした。「安く作れないか」という話を聞き、私の合成化学者魂に火が付いたんです。まずやってみようというのが私の研究精神なので、新しい合成法を開発すればいい、さらには原料が高ければ安く作れる方法を探せばいいではないか、と。本当に必要な化合物を必要な量だけ合成する、それが有機合成の専門家である私のやるべきことでした。
無理だと言われて研究は停滞、突破口は植物の専門家との出会い
こうして、ムギネ酸をできるだけ簡単に、そして安く作れる新しい合成法の開発に着手しました。最初に作ったのがムギネ酸の類縁天然物、デオキシムギネ酸(DMA)です。原料に試薬を順番に入れていくだけの新しい合成法を生み出しました。DMAが大量に合成できるようになったので、これを稲の水耕栽培に添加したところ、アルカリ条件でも稲が十分に育つことが確認できました。すなわち、DMAの利用によって世界のアルカリ性不良土壌でもイネの栽培が可能になるということです。しかし、この見解は、多くの人たちには本気にされませんでした。「高い」「そんなにうまく育つはずがない」と、皆さん懐疑的でしたね。水耕栽培では良くても、土壌にはいろんなものが含まれているので確かに未知数です。また、DMAの合成に使っていた原料の一つは1g=7万円ほど。DMA自体は1g=1億円ですから相当コストダウンできたのですが、まだ高すぎたんです。
ただ、研究の過程で苦労したのは、コストだけではありません。私は植物の専門家ではないので、この方面で頼れる人を見つけるのに時間がかかりました。作り出したものの効き目を試すには、鉄欠乏に陥った植物モデルが必要です。当時の共同研究者といろいろ試したものの、どうしても鉄欠乏状態のイネを育てることができず、研究が停滞してしまいました。困っていたところ東京大学名誉教授の西澤直子先生(現石川県立大学学長)が、愛知製鋼の鈴木基史博士を紹介してくださいました。彼は鉄欠乏植物の専門家で、鉄欠乏モデルの植物を生み出す技術とノウハウを持っていました。会社としても鉄の新たな活用法を探っており、そこでニーズが合致したんです。彼との出会いが、研究を大きく進展させました。
従来肥料の効果10倍!低コストで環境負荷もかからないすごい化合物合成に成功
鈴木さんは砂漠の土を使い、鉄欠乏モデルの植物にDMAが効くか試してくれました。すると、従来の鉄キレート剤よりも高い効果が出ました。「こんなすごい効果は初めて見た!」とびっくりして徳島まで飛んできてくれたほどです。でも周囲はまだ冷ややかでした。ネックはやはり1g7万円の原料コストです。大量に必要な肥料にはまだまだ高価すぎて、有用だと感じてもらうことはできませんでした。
高いというならもっと安く作れる方法を探るだけです。DMAに使用しているアミノ酸を変えてみようと、高い原料であったL-アゼチジン-2-カルボン酸を、別の安価なアミノ酸に代替した類縁体をいくつも合成しました。その結果、驚く成果を出したのがL-プロリンを使ったプロリンデオキシムギネ酸(PDMA)です。何がすごいかというと、化学的に作ったものなのに、天然物であるDMAのさらに上、従来の鉄キレート剤の10倍もの効果が出たんです。しかも原料のコストは1gたったの5円程度!天然物よりも効いてしかも安いなんて。1ヶ月で分解されるので、環境に負荷も与えません。まるで夢のような化合物を作り出すことに成功したんです。
期待に胸を膨らませつつ、いよいよイネの栽培試験です。日本は主に酸性土壌なのですが、鈴木さんが富山県にあったアルカリ性の貝化石土壌を紹介してくれました。見た目は真っ白で、とても植物が育つとは思えないような土でした。私の方は学生たちに頑張ってもらい、PDMAを大量に合成して試験に臨みました。イネを植え、10日後にPDMAを散布しました。すると散布から10日後には明らかに生育に差ができていました。さらに10日経つと散布していない方は鉄を取り込めないので、鉄欠乏になりほぼ枯れたような状態になったんです。PDMAを散布した方はそのまま育ち、9月になるとコメも実り、実験は大成功となりました。これまで作物が育たないとされていたアルカリ性土壌でもPDMAでイネが育ち、コメが収穫できると証明できたんです。
実用化を目指し、海外で栽培実験が進む
栽培実験や細胞試験の結果、今分かっているのはコメ、小麦、トウモロコシといったイネ科の植物なら、PDMAで効果が出るということです。現在、世界各地にPDMAを配布し、アメリカを始めとする世界各地で試験を行ってもらっています。コロナ禍で現地に行くことができないのですが、そのうち栽培の経過報告が届き始めるでしょう。現在はいかに沢山の量を作り、世界に届けられるかというところにフェーズが移っています。合成には現在5工程ありますが、それを2工程で済むような方法にも挑んでおり、近日中に工業スケールでの検討(大量生産する方法の開発)に入ります。
現在海外では、20社以上から様々な鉄キレート剤が販売され広く使用されています。それらより10倍以上効き、微生物によって分解されるPDMAが実用化されれば、既存のキレート剤がPDMAに置き換わる日もそう遠くないでしょう。何より、アルカリ性土壌でも環境負荷を与えずに作物を育てられるインパクトは計り知れません。
示したのは、化学合成が持つ世界を変える力
私たちの研究グループの理念は、化学の力で豊かな世界を実現することです。今回のチャレンジは最初は誰からもできっこない、あり得ないといわれました。それでも長らくやっているうちに協力してくれる人が増え、愛知製鋼やサントリーといった企業、志のあるコンサルタントといったサポーターも増えてきました。細々とやってきたことが大きくなり形になったことは感慨深いです。全合成はあまり役に立たない学問と思われがちな研究分野ですが、この度のことで全合成の魅力を伝えることができたのであれば嬉しいですね。
有機合成は難しく、ハードルが高いと思われがちです。しかし、存在しないなら生み出せばいいと、この世にない分子も作ることができる面白さは格別です。最初から「できるだろう」という確信を持ってやっている訳ではなく、とりあえずやってみようという姿勢でやるだけです。数えきれないほどの失敗があり、何千通りの表に出てないネガティブデータがあります。それでも、うまく行かなかったのはなぜなのかと考え、あれこれ試行錯誤することそのものが面白いのです。
恩師の岸義人先生に「お金や名誉のための研究ではなく、本当に面白いと思ったことをやりなさい」と言っていただいたことを今もずっと感謝しています。10年、20年と続けられることは、自分が面白いと思うことだけです。その教えがあったからここまでやってこられましたし、またこれからもそうやって進んでいくだけです。それがいずれ世の中に役立つものとして活用されれば、さらに幸せなことだと思います。
徳島大学 教授
難波康祐 なんば こうすけ
大阪市立大学理学研究科物質分子系専攻後期博士課程修了。博士(理学)。コロラド州立大学やハーバード大学で博士研究員として経験を積み、2005年帰国。現在は徳島大学大学院医歯薬学研究部 教授。有機合成化学を専門とし、医薬品等に活用される有用な機能を持つ分子を作り出している。(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
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