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“接着剤”といえば私たちの日常生活でもごく身近に使われるものですが、実は今、産業界では最も注目を集める研究分野のひとつであることをご存じでしょうか。Co2削減に向けた時代の要請から自動車や航空機の軽量化が急務とされるなか、鉄から炭素繊維などに置き換わるその素材を接合するための異素材接着技術の進歩もまた、重要性をますます高めています。
こうした状況を受け、国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下、産総研)接着・界面現象研究ラボでは、これまで明らかにされていなかった接着のメカニズムの解明が次々と進んでいます。今回お話を伺ったのは、産総研の接着界面研究グループで上級主任研究員を務める、堀内伸さん。これまであまり解明できていなかった、接着剤が引き剥がされるプロセスを、世界で初めてリアルタイムに観察することに成功しました。
微細な世界における具体的な観測手法のほか、”接着”がこれからの産業界でより重要視されている理由、今後の研究の展望についてもお聞きしました。
産総研接着・界面現象研究ラボとは?
国立研究開発法人産業技術総合研究所は、産業や社会に役立つ技術の創出につながる基礎研究およびそれらの技術シーズを事業化・実用化に繋げるための「橋渡し」の機能を担う、日本最大級の国立研究機関。略称は産総研(さんそうけん)。 「接着・界面現象研究ラボ」は、現在伸び盛りの接着・接合技術の研究を産学官の連携のもとに進めるために2015年に設立された。 産総研「接着・界面現象研究ラボ」
https://unit.aist.go.jp/nmri/airl/index.html
構造物のマルチマテリアル化に欠かせない“接着”
─ ”接着”といえば私たちの生活においても身近なものではありますが、産業界においても重要性がこれまでになく増しているというのは、どういう背景からでしょうか。
産業界のなかでも現在特にニーズが高く我々研究者が注目しているのは、まずやはりなんといっても自動車産業です。自動車産業の世界は今「マルチマテリアル化」へと進んでいることがその理由です。
─ 「マルチマテリアル化」とは、なんでしょうか?
これまでの自動車のボディには、主として鉄鋼材料が使われてきました。鉄鋼を溶接したり、あるいはリベットを使うなどして組み上げるのです。しかしこれから主流になっていくと考えられている電気自動車は、より燃費を良くしてCO2を減らすために、さらなる軽量化が求められています。そこで鋼鉄製のボディではなく、軽くてなおかつ強い材料に変えていこうとしているんです。具体的にいうと、鉄の代わりにアルミを使ったり、さらに部分的にCRFP(炭素繊維強化プラスチック)を組み合わせたり。つまり単一の素材ではなく、様々な素材を適材適所にミックスすることで軽量化と安全性の両立を追求する。これがマルチマテリアル化の意味するところです。そしてマルチな素材をひとつに組み合わせるのに必要なのが…
─ 異なる素材をくっつける、接着剤というわけですね!
そうです。アルミと樹脂のようなものを接合するとなれば、鉄のように溶接はできません。リベット留めという手もありますが、それだと重量が増えてしまいます。そうすると何を使うかといえば接着剤。しかし自動車ですから、安全性や耐久性が求められるのはいうまでもありません。そこで現在産総研では、接着に関する研究に注力しており、私を含む専門領域の研究者がグループやラボを形成したり、接着のコンソーシアムを立ち上げて企業と共同研究を行っているところです。
─ これまでになかった新しい接着剤の開発を行なっているのですか?
接着剤の新規開発というのは、全体のさまざまな取り組みのなかで見るとごくわずかですね。世の中にはもう十分いい接着剤はありますから。ただ、そうした既存のいい接着剤も、どういった条件でくっつくとかくっつかないとか、耐久性がどれほどあるのかとか、そういったことについてはまだまだ突き詰めきれていません。特に異なる素材をくっつける場合には、熱膨張や収縮の度合いが素材によって違うし、夏と冬とでは結果にズレが起きたりすることもあります。さらには違う素材をくっつけると電位の差からサビが起きてしまう電蝕の問題もあります。自動車の製造に接着剤を使ったとして、一見しっかりくっついているけれど、本当にあらゆる条件下で大丈夫なのか、何十年も耐久性があるのかといったことまでは意外と明らかでないことが多いのです。
―接着剤といえば昔から身近にも使っているし、くっつくメカニズムは科学的に結構わかっているものと思っていました!
接着のメカニズムは10年か20年前あたりまでは推測でこうだろう、とされてきた世界でした。凸凹があるとよくくっつき、そうじゃないものはくっつきにくい「アンカー効果」とか、モノがくっつく時には分子間に働く弱い引力=分子間力が必要だとか、金属と接着剤で化学結合できると非常に強いとか、そんなことが経験則的にさまざま言われていたんです。でも実証されているわけではなくて、凸凹の大きさが違えば全然話は違ってくるし、分子間力だけでは強い接着を得られない。化学結合についても本当にあるのか?と疑問視する声もあって、実際に証明した人もいませんでした。なぜなら接着の界面は、接着されている構造体の「中」にある部分なので、解析する事自体非常に難しい世界なのです。今回、接着剤がはがれる様子をリアルタイムに観察できるようになったことで、ようやく接着界面の原理について科学的に明らかにする端緒を得ることができました。
剥がれた面を見ることはあっても「どう剥がれているのか」は調べられてこなかった
─ 接着剤の剥離過程の観察は、産総研が世界で初めて成功したということですが、海外も含めてトライした先行事例というのはあるのでしょうか。
接着の強度を測る試験を行い、剥がれた面を見るということは普通に行なわれています。剥がれた面を見て、何が問題なのか、どんな壊れ方をしたのかということを推測します。しかし剥がれる瞬間をリアルタイムで観察するということは、私たちが取り組む以前はなかったと思います。
─ でも、メカニズムの解明にはそこが重要とにらんだわけですね。
接着の原理を知るためには、どんな剥がれ方をしているのか、事象の経過を正確に知る必要があると考えました。
一般的に接着剤の剥がれ方というのは、接着剤の内部で破壊が生じた「凝集破壊」と接着の界面で剥離が生じる「界面破壊」に分類されます。例えば剥離試験の結果、界面自体はしっかりくっついているが接着剤が劣化して接着が剥がれた状態であれば、接着剤そのものを強くしたり耐久性を上げる必要があると分析されますし、逆に界面で剥がれた場合は、より深い部分をいかにくっつけるかという対策を考えたりするわけです。
─ 剥がれ方で接着剤の評価や改良方針が変わるんですね。
そうです。ところが、色々な試験をやっていくと、実は接着の破壊が生じる際には凝集破壊と界面破壊、この単純な二者択一ではなくて、より複雑なことが起こっているようだということが分かってきました。これはやはり、実際に剥離の過程をリアルタイムに観察してみないことには正しいことはわからないぞとチャレンジすることにしたのです。
ナノレベルの微細な試料を作り、見えてきたもの
─ 実験ではどのような素材を観察されたのですか?
アルミとエポキシ系接着剤の接合部分の破壊過程を観察することにしました。自動車では今のところスチールに代わるものとしては、軽くて強くコストも安価なアルミが考えられています。そして接着剤のタイプにも当然いろいろありますが、エポキシ樹脂は強くて耐久性が高く、建築物などの構造接着に一番よく使われているものであることから選定しました。
─ 苦労されたポイントはどこでしょう?
観察は電子顕微鏡で行うのですが、電子顕微鏡には走査型(SEM= Scanning Electron Microscope)と透過型(TEM=Transmission Electron Microscope)とがあります。今回は1マイクロメートル以下の微細な変形を観察するためにそれが可能な透過型の電子顕微鏡、TEMを使用しました。しかしTEMは、観察する対象を薄くしないと電子線が透過しません。どのくらいの薄さかというと、100ナノメートルぐらいにしなくてはいけなくて、この試料作りがとても大変でした。最初にして最大のハードルが試料作りだったといっていいでしょう。アルミと接着剤を接合した試料から、TEMで観察ができる薄片を切り出します。界面を狙って薄く切り、それを正確にフォルダーに乗せるという部分が、技術とノウハウが要る点ですね。マニピュレーターを使って行うこともありますが、手でやった方が正確にできます。そしてフォルダーに固定した試料を両方から引っ張って、接着部分が破壊される様子を観察しました。
─ 実際に観察して、どのようなことがわかりましたか?
試料に亀裂を入れて剥がしていくわけですが、見ていると亀裂の先端ではなく、それよりも手前に黒いひずみが観察できました。このひずみが小さな空洞になり、ここに亀裂が到達して一体化し、破壊が起こります。この破壊は界面ではなく、接着剤の内部で起こっていることが観察できました。また、破壊後のアルミ側にわずかに接着剤が残っていることも確認できました。
─ これは画期的な観測結果だったのでしょうか?
引っ張りながら観察を行う実験はこれまでもやられているのですが、それらは材料そのものの変形や引っ張った過程を観るものでした。しかし接着が引き剥がされる様子、特に金属と樹脂の接着という組み合わせの界面を見たのは、世界で我々が初めてでした。そしてこの観察の結果、これは凝集破壊でもないし界面破壊でもないということを実際に確認できました。実は専門的な接着の研究をやっている人間には、もともと二者択一の破壊方法でないということは推測されていました。しかしそれを実際に見て、外部の人にも理解してもらえる状態にできたことは画期的と言えると思います。
─ 「多分そうだろう」が「確かにそうだった」になった瞬間なのですね。ここから先は、どのようなことを手がけていかれるのですか?
装置を使いこなして科学的なデータを蓄積・分析することによって、接着剤の耐久性や強度を増す表面処理方法の開発につなげることができます。そのことへの貢献にまだまだ挑んでいくつもりです。接着が剥がれる瞬間をリアルタイムに観察できるようになったことは、経験則でなく科学的根拠に基づくモノづくりを行う上での大きな第一歩となったと思います。しかし、あくまで過程の一歩ともいえます。今は主に自動車の世界をターゲットに研究していますが、これが進めばもっといろんな分野にも活かされていくでしょう。
研究者を目指す人へのメッセージ。先のことが見えづらい今は、自分のやりたいことを大切に
─ 堀内さんご自身のご経歴、キャリアについても教えてください。
私は数学や物理が好きで理系を選択し、大学院は修士課程まで進んで一度は企業に研究員として就職しました。4年ほど勤めましたが、自分はもう少し長期的にじっくりと基礎研究に取り組む方が向いているなということに気づきまして、国家公務員の上級試験を受け、産総研の前身である工業技術院に入ったのです。入所の後、働きながらポリマーブレンドの構造・物性に関する研究で博士号も取得しました。
─ 堀内さんにとって産総研という仕事場の魅力とはなんでしょう? また、研究の楽しさとは?
じっくり研究に打ち込める環境があるところが魅力ですね。研究成果を出すことが何よりも優先される。ある意味シビアでもありますが、そういう仕事やライフスタイルが私には合っていると思います。
研究の楽しいところは、モヤモヤしていたものが、ある日パッとわかったときです。いろいろな実験をやって真実に近いところが見えてくるのが嬉しいです。特に高分子材料は、まだまだ判然としない曖昧な部分が多く、その分発見の余地があってすごく面白いです。今まではあまり扱われてこなかった分野ですが、顕微鏡技術の進化をはじめとする近年のテクノロジーの急速な発達でようやく取っかかりができてきて、面白さが増しています。
─ この先まだまだいろんなことが解明されそうで、興味深いです。
私のやっている分野は派手な世界ではないですが、産業を下支えする、なくてはならないものです。接着というのはエレクトロニクスをはじめ、産業界のいろいろな分野でニーズがあり、テーマも豊富です。特に界面の研究については材料すべてに関わる分野なので、とても重要で、まだまだ深めていくことが必要ですね。我々はこれから20年、30年先に残るような成果を出そうとやっていますが、そういう「長く残る成果になるかも?」というものに携われていることもやりがいのひとつです。
─ これから研究者を目指す人に向けてメッセージをお願いします。
今の時代は20年、30年先を想像しづらい時代です。今現在業績のいい業界や会社も、数十年後はどうだかわからないという難しさがあります。勢いのある業界や研究分野はたしかに魅力的に映ると思いますが、どのみち先のことはわからないのですから、やはりまず自分のやりたいことを軸に仕事を探したり、研究を続けるということの方が大切ではないかと私は思います。
学生の方であれば、学生のうちは試験を受けて点数を取るというある種の答えがある世界での頑張りが求められます。しかしその先の世界は、さまよいながら自分のやりたいことと自分なりの答えを探し、見つけていく作業が必要になります。研究の世界ではなおさら、明確な答えが出るということはほとんどありません。それをわかってなお、手探りで切り拓く険しい道に飛び込む勇気を持てた人だけが、ゲームチェンジを起こす切符を手にできるのだろうと思います。
堀内伸(ほりうちしん)
国立研究開発法人産業技術総合研究所 材料・化学領域 ナノ材料研究部門 接着界面グループ 上級主任研究員
東京工業大学大学院修士課程を卒業後、研究員として企業に就職後、公務員試験を受け直して産総研に入所。接着剤が引き剥がされるプロセスの電子顕微鏡による解明の発表では多くの反響を得る。「成果をリリースとして発表し、多くの人に見てもらえることもやりがいのひとつ」と語る。
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