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正確さが求められる科学の世界には、難しい内容を分かりやすく伝えてくれる頼もしい存在として「サイエンスイラストレーター」という専門職があります。
今回お話を聞いたのは、サイエンスイラストレーションの第一線で活躍する北海道大学CoSTEPの大内田美沙紀 特任助教。広島大学で博士(理学)、ワシントン大学で人類学(修士)を取得する一方でサイエンスイラストレーションを学び、コーネル大学鳥類学研究所やスミソニアン自然史博物館、さらに帰国後は京都大学iPS細胞研究所でサイエンスイラストレーションの経験を積まれたという経歴の持ち主です。サイエンスイラストレーションについて、また目を引くイラストを描くポイントやキャリア形成についてうかがいました。
教科書のイラスト模写で身についたスキル
── まず、一般的なイラストレーターとサイエンスイラストレーターとの違いを教えてください。
サイエンスイラストレーターは、科学的な内容を一般の人にも分かりやすく伝えるためのサイエンスイラストレーション(科学イラスト)を描く職業です。一般的なイラストレーターに比べると、科学的に正確であることが強く求められます。読み手にあわせて表現を変えられるさじ加減も大切です。例えば、専門家が読む論文ではリアルな描写がふさわしく、一方で医師から患者さんへ説明する際に用いるイラストでは、やさしさを感じさせるものが好まれます。
サイエンスイラストレーションは、研究成果を発表するプレスリリースや学会のポスターなど、幅広いシーンで活用されています。論文や研究費の申請書にもイラストによる概要説明(グラフィカル・アブストラクト)の添付が必要です。
── 先生はもともと絵がお上手だったのですか?
『スイミー』とか、教科書にのっている絵という絵を片っ端から自由帳に描き写していました。振り返ると、小さい頃から模写が好きだったようです。中・高校では美術部で油絵を描いていましたが、芸術の道へ進むつもりはありませんでした。
── 大学では、素粒子物理学を専攻されていますね。
「自分はどこから来たのか」にとても興味があり、「全ての始まりはビッグバンだ」と素粒子物理学を選びました。おもしろかったのですが素粒子から宇宙と扱う幅が大きすぎて、研究をすればするほど分からないことが増えるのです。博士号まで取ったものの、全く手が届かない。そこで対象のサイズをヒトへと変更し、人類の祖先は何か?を研究することにしました。ワシントン大学の人類学は、自然科学の切り口から学べるということで、自分の志向に合っていたのが決め手になりました。そしてこの留学が、サイエンスイラストレーターになるきっかけとなりました。
── ワシントン大学での学びはいかいかがでしたか。
解剖学の授業で『ネッター解剖学アトラス』という書籍に出会い、感動しました。外科医、かつメディカルイラストレーターでもあるネッターが描いた正確で美しいイラストは高い評価を得ています。この本のほぼ全てのイラストを模写し、ご献体に触ることで、組織や骨格の位置関係を3Dで理解できました。
── それがサイエンスイラストレーターを目指したきっかけになったのでしょうか?
ある日、指導教員の先生から "You don’t look like chasing the tennis ball" (テニスボールを追っているように見えない)、つまり研究する姿勢から情熱が感じられない、研究に不向きだと指摘されました。同時に私のノートを見ながら「イラストで表現する方が向いているのでは?」と。先生は研究適性のない私を見限らず、むしろ新しい可能性に気づかせてくれたのです。そこで、たまたま学内で開講されていたサイエンスイラストレーションの夜間コースを履修し、本格的に学びました。
研究のポイントを押さえて描くサイエンスイラストレーション
── 特定の専門分野を持つイラストレーターもいますが、先生は幅広い分野で活躍されていますね。
特に、広い分野を学び博士号を取得した経験、スミソニアン自然史博物館や京都大学iPS研究所で勤務した経験が活きています。
── やはり、博士号を持っていると有利なのでしょうか。
公表前の論文を第三者にシェアするのは、研究者からすると機密情報の漏洩という大きなリスクをはらみます。にもかかわらず提供してくださるのは、学位があることで公開前の論文の意味を理解していると信頼してくださっているのかもしれません。全く知らない分野の仕事であっても論文を抵抗なく読めるのも利点です。
── イラストの方針はどのようにして決めるのですか?
まず、研究に関する資料(論文、発表資料など)をできる限りたくさん提供していただき、目を通してから研究者とミーティングします。新規性や既存研究との違いなど、ポイントとなる部分は研究者ご自身に解説していただくのが一番です。
── デジタルとアナログの使い分けにルールはありますか?
論文に添えるグラフィカルアブストラクトは、アナログの不均一さは読者にとってノイズになることがあるので、明確さを優先して全てデジタルで描いています。反対に、学術雑誌のカバーイラスト(表紙)はアナログの味を残し、研究者が伝えたいメッセージを込めたアート性のある作品を目指しています。
── こちらのイラストは、ネズミがダイナマイトやツルハシを手に、洞窟で掘削作業をしていますね。遠くにはキラキラ輝くネズミも見えます。
一般的なマウスの寿命は3年程度ですが、イラストのハダカデバネズミは37年も生きた個体がいるそうです。依頼した研究グループは、ハダカデバネズミがからだの中で老化細胞を除去し、若さを保つ仕組みがあることを発見しました。キーワードはハダカデバネズミ、細胞破壊、若さとして、ハダカデバネズミが老化細胞をダイナマイトで破壊して、キラキラと若さを保つ様子を表現しました。ツルハシで掘削している姿が地下トンネルに住んでいる生態とマッチしている点も気に入っています。
── イラストのイメージやモチーフはどのように決めますか?
ふと思いつくことが多いです。そのためにはインプットが大切で、よく書店でさまざまなジャンルのイラストや写真を眺めています。またかわいい文具や店内のデコレーションなど、イメージ作りの参考になるものがたくさんあり、私にとって書店はインスピレーションが湧くスポットです。
── 作品ごとに多彩な表現をされていますね。
カバーイラストでは、オリジナリティを出すためにアナログ感を大切にしています。過去の作品を調査してイメージの重複を回避したうえで、できるだけ色鉛筆などで書いたものをスキャンして仕上げるなど、均一的な表現ではない「手しごと感」を引き出します。サイエンス畑出身で「自分のアート」という強い自我(エゴ)がないことで、気負わずにいろんなスタイルで表現してみようと思えるのかもしれません。
── サイエンスイラストレーションを描くときに気をつけていることはありますか。
ひとりよがりにならないことです。全部1人で仕上げて「もう誰に何と言われようと修正しないぞ」という姿勢は危険です。内容を研究者や専門家にチェックしてもらい、間違いは当然修正しなければいけません。また、見る側が理解して初めて役に立つイラストですから、第三者にも見てもらって意図が伝わるか確認すると安心です。
ずっと同じ絵に向き合っていると、いつの間にか絵の世界に染まってしまうんですよね。細胞をたくさん描いた絵を上司に見せたときに「何それ気持ち悪い」と言われて、「これ気持ち悪かったんだ」って初めて気づいたことがあります(笑)
それから「論理的に描く」ことも大切にしています。絵は感覚的なものと思われがちですが、サイエンスイラストが扱う対象は科学ですので、事実に基づいた論理的なイラストであることは非常に重要です。
サイエンスイラストレーターになるために
── これからの社会でサイエンスイラストレーターに求められる役割は?
人が生活するうえで視覚から得る情報が8割以上とする説もあるように、人間の画像を読み解く能力は生まれもって高く、ぱっと目を引くイラストは非常に効率がよい伝達手段です。また、現在のネット社会では画像の有無がソーシャルメディアでの拡散率やクリック率を大きく左右します。イラストを使わないことは機会損失につながりますから、サイエンスイラストレーターはますます重要になると思います。
── サイエンスイラストレーターになりたい方へ向けて、おすすめの勉強法やキャリアの歩き方を教えてください。
サイエンスイラストレーターへは、①アーティスト畑からサイエンスイラストへ仕事を広げるタイプか、②研究しながらイラストを描いていき(サイエンス畑から)仕事へ繋げていくタイプの2つの道があるかと思います。
私のおすすめコースは②です。まず高校生までは好きな物をたくさん描いてください。私も大好きな犬をいっぱい描きました!そして大学では自分で研究をして、論文を書いてみると良い経験になるでしょう。生成AIなどのテクノロジーが発展してきた今、イラストレーターだけで食べていくのは正直心細いと私は思います。学位というもう一つの柱を得て、別の仕事で収入を確保しながらイラストレーターとして活動することをおすすめします。私も教員との複業です。
※編集部注)大内田さんは現在北海道大学でサイエンスコミュニケーションを体系的に学べるCoSTEP(Communication in Science & Technology Education & Research Program; コーステップ)にて、サイエンスイラストレーション、インフォグラフィックス等を担当している。
── アメリカと日本では、サイエンスイラストレーターの置かれた状況に違いはありますか。
アメリカではサイエンスイラストレーターが専門職として成立しています。スミソニアン自然史博物館には、昆虫館だけで3人も所属していました(2016年当時)。日本には研究所や大学といった組織に所属しているインハウス・サイエンスイラストレーターはほとんどおらず、大半がフリーランスです。広報や科学コミュニケーターがイラストを描くケースも多いですね。
みんなが絵を描ければ、コミュニケーションはきっと変わる
── イラストを先生のようなプロに依頼するにはどうすればよいですか。
京都大学ASHBiが公開しているサイエンスイラストレーターのリストと依頼の方法があるので参考にしてください! サイエンスイラストレーターに依頼する際は、掲載媒体、目的、それに予算と締め切りをお知らせいただけると、スムーズです。資料はあればあるほど助かります。他の人が描いたイラストでもOKですので、仕上がりイメージを共有していただけると想定から大きく外れるリスクを減らせます。
── 将来の展望をお聞かせください。
周りのイラストレーターはある程度キャリアを築くと、会社を立ち上げてマネージャーになったり、研究に集中する方が多いのですが、私はきっと教育に携わりながら描き続けると思います。アカデミアの先端科学に触れられる環境も自分に合っています。
── 先生が描(えが)くのはどのような未来ですか?
誰もがイラストを描ける未来が近づいています。何かを伝えるときに、文字よりもビジュアルを使った方が伝わりやすいということを考えると、イラストを描ける人が多ければ多いほど、コミュニケーションはもっと円滑になると思います。難しいと思われがちなサイエンスだって、みんながイラストにできたら、サイエンスリテラシーも自然と向上するでしょう。現在所属している北海道大学のCoSTEPはみんなに扉を開いています。サイエンスイラストレーションに興味を持たれた方はぜひウェブサイトをのぞいてみてください。
大内田 美沙紀(おおうちだみさき)
サイエンスイラストレーター、博士(理学)
北海道大学 CoSTEP 特任助教
2010年に渡米し、ワシントン大学にて人類学修士号を取得する傍ら、サイエンスイラストレーションの専門コースを修了。コーネル大学鳥類学研究所やスミソニアン自然史博物館でサイエンスイラストレーションの経験を積む。2016年に帰国した後、京都大学iPS細胞研究所にて同研究所初のサイエンス・コミュニケーター&イラストレーターとして活躍。2022年より現職。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
北海道大学CoSTEPホームページ
https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/
大内田 美沙紀先生 個人ホームページ
https://www.misakiouchida.com/
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