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「卵アレルギーで苦しむ人をゼロに」というテーマを掲げ研究開発に取り組むキユーピーグループ。同社は、2013年より広島大学とともに主要なアレルゲンである「オボムコイド」を含まない鶏卵「アレルギー低減卵」の研究を進め、2020年にはラボレベルで作出することに成功、2023年4月にはその安全性を世界で初めて確認したことを発表しました。卵は食物アレルギーの主な原因食物であり、社会課題の1つです。この課題解決に向け、アレルギー低減卵は、広島大学が独自開発した国産ゲノム編集技術によって作出されました。アレルギー低減卵を可能にしたゲノム編集技術と今後の製品化への展望など、本テーマに情熱を注ぐキユーピーの方々の想いに迫ります。
研究開発本部技術ソリューション研究所機能素材研究部新技術研究チームのチームリーダー、児玉大介さんと、研究開発本部食創造研究所タマゴ開発部タマゴ素材チームの岩本知子さんに話を伺いました。(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
「卵アレルギーで苦しむ人をゼロに」社会課題解決に挑み続けた広島大学との共同研究プロジェクト
── 2013年から広島大学と始めた共同研究発足の経緯や背景を教えてください。
児玉 2013年当時、キユーピーは卵タンパク質を食生活の主役にすることをスローガンに掲げていました。しかし、卵アレルギーの問題があり、卵を食べられない人が一定数存在することが社会課題となっていました。
卵アレルギーは、日本において食物アレルギーの原因として全体の3割以上を占め、最も多いものです。また、卵アレルギーの症状をもつ多くが子どもです。さらに、症状を持つ本人だけでなく、家族ら周囲の人たちも食生活に十分配慮しなければなりません。
卵タンパク質の価値をすべての人に提供し、卵アレルギーに不自由のない世界を実現したい。そんな強い想いがずっとありました。
以前から、卵のアレルゲン性を低下させる方法を検討していましたが、いずれの方法も限界があり、もっと上流でのアプローチ、遺伝子レベルで根本的にアレルゲンにアプローチする必要がある、という考えに至りました。
そんな時、広島大学が世界トップレベルのゲノム編集技術を保有していることを知り、共同研究プロジェクトを開始したのです。
国産ゲノム編集技術で、アレルギー低減卵の作出に成功
── アレルギー低減卵とはどんな卵でしょうか?
児玉 鶏卵の主要なアレルゲンである「オボムコイド」というタンパク質を含まない卵のことです。通常の鶏卵は、数種類のアレルゲンを含んでいますが、そのほとんどは加熱によってアレルゲン性を低下させることができます。しかし、オボムコイドだけは100℃で加熱してもアレルゲン性を無くすことできません。
そこで取り組んだのが、ゲノム編集技術によるオボムコイドを含まない鶏卵の作出です。
── 具体的にはどのように作るのでしょうか。
児玉 鶏卵の作出は主に広島大学が実施しており、まず、鶏の受精卵から細胞を取り出し培養して、オボムコイド遺伝子を欠失させるようにゲノム編集を行います。その細胞を卵に戻し、孵化させ、その鶏を何度か掛け合わせていくとオボムコイド遺伝子が無い鶏が育ちます。そしてその鶏が産む卵にはオボムコイドが含まれません。
それまでにもオボムコイドを除去する試みはいくつか行われていたのですが、遺伝子レベルで除去し、アレルゲンを含まない卵をつくることが一番確実だと考えたのです。当時ゲノム編集技術は今ほど進んでいませんでしたから、初めは遺伝子組み換え技術を活用するしか方法はないかと考えましたが、遺伝子組み換えは社会的な需要のハードルもあり、その活用は難しいと考えていました。そんなとき、広島大学さんから、ゲノム編集で実現できる可能性があると教えていただき、挑戦することにしたのです。
── ゲノム編集技術と遺伝子組み換えの違いについて、改めて教えていただけますか。
児玉 遺伝子組換えは異なる生物の遺伝子を組み入れ、新たな性質を獲得するもので、自然界では発生しないものです。外来遺伝子の挿入箇所やその機能を十分に制御することが難しく、安全性については厳格な審査が義務付けられています。
一方、ゲノム編集技術は、自然界で起こる突然変異を狙って起こす技術です。遺伝子は切断されると修復しようとする性質があります。修復の過程で切れたところの遺伝子が欠失することで配列が変わります。これを人為的に行うのがゲノム編集です。特定の遺伝子だけを狙ってピンポイントで変異させるので、編集後のゲノムの状態をしっかり評価できるという特徴があります。
── 2013年の共同研究開始から、アレルギー低減卵の作出までに7年かかっていますが、苦労されたのはどのあたりでしょうか?
児玉 オボムコイド遺伝子だけを正確に変異させるためのゲノム編集ツールづくりは、広島大学の先生の力によるところが大きいです。ゲノム編集ツールはいくつかの種類が存在しますが、我々が使ったのは、「Platinum TALEN(プラチナターレン、pTALEN)」※という、広島大学が独自に開発した技術です。また、鶏は1細胞の受精卵が取り出せませんので、始原生殖細胞の培養技術を確立することも苦労されたと伺っています。
※ pTALEN・・・高活性型のTALEN(transcription activator-like effector nuclease)のこと。TALENは、遺伝子を切断する酵素である人工ヌクレアーゼで、植物病原細菌がもつ転写因子様エフェクタータンパク質(TALE)に、制限酵素の一種であるFokIのヌクレアーゼドメインを融合させたもの。(参照:プラチナバイオ株式会社HP Genome Editing | PtBio Inc. (pt-bio.com))
── 現在最も広く使われていると言われているCRISPR/Cas9ではないのですね。
pTALENは、2つのタンパク質を使い、狙った場所を正確に切断できる特徴があります(二段階認証での配列切断)※。一方、CRISPR/Cas9は、オフターゲットと言って、狙った部分以外の遺伝子に影響を与えることのリスクがTALENに比べて高いことが懸念されました。オボムコイドが残ったり、副産物として予期せぬ別のタンパク質ができたりすると、鶏の生命にも関わりますし、なにより食品としての安全性が保てません。オボムコイドを安全かつ完全に除去できる編集ツールを開発することはこのプロジェクトにおいての至上命題でした。
※参照:プラチナバイオ株式会社HP Genome Editing | PtBio Inc. (pt-bio.com)
── 国産のゲノム編集ツールがそれを実現したというのは感慨深いです。
広島大学の山本先生・堀内先生はじめ、多くの方々が、設計に大変苦心してくださいました。完成した時に連絡をくださったのですが、本当に忘れがたい瞬間です。
── 安全性についても昨年(2023年)に確認ができたと発表されておられますね。
児玉 鶏卵中に、オボムコイドが全く含まれていないことを確認できています。副産物=オボムコイドの断片も含まれていません。鶏のすべての遺伝子を解析し、標的以外の遺伝子への影響がないことも確認できています。
振り返ってみると、新規開発したツールでゲノムが意図したとおりに編集できた瞬間、それによって産まれた卵から実際に鶏が誕生したタイミング、その鶏が成長して産んだ卵にオボムコイドが含まれていないことが確認できた時、それぞれのターニングポイントがとても感慨深いものでした。
結果が出るまでの長い期間には色々なことがありましたが、広島大学の先生方のご尽力や、研究の社会的な意義や熱意を繰り返し社内外に伝えていった結果、プロジェクトが継続できました。多くの人たちの理解と協力に、とても感謝しています。
※論文タイトル:Transcription activator-like effector nuclease-mediated deletion safely eliminates the major egg allergen ovomucoid in chickens
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0278691523001059
実用化へ向けてプロジェクトは新たなフェーズへ!臨床試験と商品開発を進行中
── 2022年4月から新たに始まった研究について教えてください。
児玉 COI-NEXTに参画し、応用研究フェーズとして、アレルギー低減卵の有効性評価、育種造成、物性・加工適性評価に取り組んでいます。
── アレルギー低減卵の安全性が確認できたところで、いよいよ、卵アレルギーの患者さんが食べて本当にアレルギー反応が起きないのか、という検証に入ったわけですね。
児玉 相模原病院にご協力いただいて、血清試験や臨床試験といった有効性評価のためのデータ収集を進めています。まずは血清試験を行い、アレルギー低減卵では反応が起きないことを確認しました。臨床試験は患者さんに少量ずつアレルギー低減卵を摂取してもらい、反応を慎重に見ていきます。2026年までの3か年計画です。
── 慎重にテストした卵なら、安心して口にすることができますね。
児玉 はい、丁寧に検証を行っていきたいと考えています。ただ、安全性と有効性が確認できただけでは、完成とは言えません。いかに美味しく召し上がっていただくか、というのが我々食品メーカーとして、やはりこだわりたい部分です。
── なるほど……。
児玉 アレルギー低減卵は、熱に強いタンパク質(オボムコイド)を除去していますが、他のアレルゲンタンパク質は残っているため、加熱調理が必須です。アレルギー低減卵を実際に調理した時にどういう風味や味わいになるのか、加工食品としてどういった仕上がりになるのか、食品メーカーとしてどうしても外せない大事なポイントです。そのために、物性評価や適した加工法の研究、その性質を活かした商品開発についても並行して進めています。
おいしさへのこだわり!アレルギー低減卵ならではのレシピの開発
── 食品における物性評価や加工適性評価とは具体的にどんな仕事なのでしょうか。
児玉 卵の凝固性(固まる性質)、起泡性(泡立つ性質)、乳化性(水と油を混ぜ合わせる性質)といった基本的な物性がアレルギー低減卵でも同等に存在するかを評価します。
オボムコイドはもともと、加熱しても固まらないタンパク質で、通常の卵白タンパク質に1割程含まれています。それが除去されたため凝固性が高くなるのです。
起泡性や、乳化性については、アレルギー低減卵が通常の卵とほぼ同等の物性であることが確認されています。
アレルギー低減卵のそうした物性を考慮して、様々な食品への利用可能性を探っていくのが、調理・製菓適性評価というプロセスです。当社で数多くのレシピを開発してきた岩本が担当しています。
── 調理・製菓適性の評価とは具体的にはどういった仕事なのでしょうか?
岩本 アレルギー低減卵を実際に調理し、炒り卵やスポンジケーキなどのお菓子を作ることで、通常の卵と同じように利用できるかを確認しています。さまざまな料理にアレルギー低減卵を使用しましたが、通常の卵とほとんど変わらず、問題なく使えることがわかりました。
児玉がお話しした通り、アレルギー低減卵は凝固性がやや高いため、食感がしっかりしている部分があります。それ以外は普通の卵と同様の物性ですので、色々な料理に使っていただけるのですが、せっかく新しい食材ができたのですから、しっかりと固まるという特性を生かしたメニューもたくさん開発できればいいなと思っています。アレルギー低減卵ならではの良さを生かした商品のアイディアをいろいろ考えています。
── アレルギー低減卵ならではの食感、とても興味があります!
岩本 アレルギー反応が起きない卵といっても、ただ食べられるだけでなく、おいしく食べていただきたいのです。特にお子さんが喜ぶ商品をたくさん開発したいです。アレルギー低減卵ならではの、ちょっとプリッとしたプリンとか、クッキー、マドレーヌ…、おいしいレシピをたくさん開発して、アレルギーで卵のお菓子を我慢してきたお子さんに、美味しく楽しく食べていただきたいです。
── 本当に、子どもたちのことを思うと胸が熱くなります……。商品がリリースされるのがいまからとても楽しみです!
これからの研究開発は、お客様へどんな意味を届けられるかが重要
── このプロジェクトに携わって、今どのようなお気持ちですか?
児玉 私は昔から卵が大好きであり、卵の価値を社会に広めることを使命と考えてキユーピーに入社しました。今回のテーマを担当できてとてもやりがいを感じています。でも実際に研究成果を発表するまでは、どういう反応があるのか正直不安な部分もありました。予想していた以上にニュースに対してポジティブな反響が多く、応援や期待の声が多かったので、安堵しているところです。共同研究先のアレルギーの専門家の先生方からご評価いただけていることも、やりがいと感じる一因です。
岩本 今の仕事は純粋に楽しいです。毎日卵を使ってプリンやケーキを作ることが楽しく、作ったレシピが子供たちや周りの人たちに喜ばれる瞬間を楽しみに、毎日の仕事に取り組んでいます。レシピ開発の仕事は、お客様のことを思い浮かべながらあれこれ考えて造っている過程が本当に楽しい仕事です。試作品を食べた仲間から、「いいものをつくってくれてありがとう」と言ってもらった時は、本当にやっていてよかったと思います。
── 研究とレシピ開発、それぞれのプロフェッショナルが力を合わせることで、よい製品ができあがっていくということがものすごくよくわかりました。 ぜひ研究開発職を目指すリケラボ読者の方にメッセージをお願いします!
児玉 お客様にとっての価値、が今まで以上に研究者に求められる時代になっていると思います。これまでは、機能価値が重視され、研究開発もそこに焦点を当てていればよしとされる傾向がありました。でもこれからの研究者には、お客様にとっての「意味」を念頭にした研究をすることが求められていると思います。価値の種類も多様化しています。意味的価値をいかにとらえていくかが大事なのかなと思います。
また、研究は社内外に仲間をたくさん作っていかないと実用化までもっていくことは難しく、お客様によい商品を届けられない、ということをこのプロジェクトを通じて実感しているところです。オープンイノベーションの時代、これからの研究者には仲間づくりの志向やスキルがますます重要になると考えています。
岩本 いろいろな壁にぶつかって悩むこともあると思いますが、自分の武器になるようなことを1つ見つけておくとよいと思います。自分が好きなこと、やりたいこと、そして自分の武器を理解していれば、悩んだときでもそこに立ち返ることができます。支えてくれる仲間とともに、自分の武器を伸ばしていくことを大切にしてほしいです。
── 今後の展望についてお聞かせください。
児玉 2026年以降は応用研究から開発フェーズに移行したいと考えています。事業化を実現するためにはアレルギー低減卵を産む鶏を増やしていくステップが欠かせません。こちらについても養鶏場などパートナー企業と協力しながら進めていきたいと考えています。ゲノム編集食品についての正しい情報提供といった、安心して召し上がっていただくためのコミュニケーションも重要だと考えています。
キユーピーグループはもともと、「“食の選択肢”を広げたい」というテーマで数多くの研究開発に取り組み、国内の約1割の鶏卵を扱う卵の会社として、30年以上前から卵アレルギーの問題に真摯に向き合っています。今後も「アレルギーに不自由のない世界」の実現に向けて、アレルギー低減卵の研究に取り組んでいきますので、ご期待ください!
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リケラボ編集部より
卵を使った加工食品といえば、キユーピーさん、と真っ先に思い浮かぶ人は多いのではないでしょうか。そのキユーピーさんが、原材料である卵の開発まで行っていた、しかもゲノム編集という最先端技術を使ってアレルギー低減卵を作ったという事実に、さすが卵食品の第一人者!と感銘を受けました。それだけでもすごいことなのに、商品開発においても徹底的に美味しさにこだわっていらっしゃることにリスペクトしかありません。
食品メーカーの研究職・開発職は、大変人気がある職業ですが、児玉さん、岩本さんの仕事に対する姿勢や想いが、この仕事を目指す方に少しでもヒントとなれば幸いです。
児玉さん、岩本さん、キユーピー株式会社様、貴重なお話を誠にありがとうございました。
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