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世界中の人々の暮らしの中で生まれた生活道具や婚礼衣装、祭事用具から家屋、船までもが展示され、文化の多様性を肌で感じることができる国立民族学博物館(以下 みんぱく)。
世界中でフィールドワークを行う民族学・文化人類学の研究者を抱える研究機関であると同時に、標本資料の収蔵数約34万点を誇る世界最大規模の民族学博物館です。
現在では入手できない資料も多数あり、展示するだけではなく修復・保存して次世代に引き継ぐ重要な役割も担っていますが、資料をできるだけ良い状態に保つには、科学の力が欠かせません。
そこで今回は、文化財を守り博物館を支える「保存科学」について、国立民族学博物館 学術資源研究開発センター長の日髙真吾教授にお話を伺いました。修復の様子も特別に見学させていただきましたので、是非ご覧ください!
博物館に欠かせない「保存科学」とは?
── 先生のご専門である「保存科学」とは、どのような学問ですか?
日髙:保存科学とは、文化財を「保存、活用、継承」する、すなわち文化財を守り、活用し、次世代につなげていくための学問です。代表的な保存活動の一つである文化財の修復では、その種類によって彫刻、漆など制作技術に関する知識が必要です。また、文化財を構成する物質や、どのような環境で使われ、どのように素材が劣化していくのかを明らかにする保存活動では、材料学や分子生物学といった理系の知識が必要となります。
そして、文化財は地域との結びつきが強く、地域文化においてその文化財がどういう位置付けにあるのか背景を理解しなければなりません。歴史学や民族学という文系の要素が極めて求められます。
── つまり、保存科学は理系・文系と分けられない総合的な知識が必要なのでしょうか。
日髙:はい、いわゆる総合領域という学問です。学生時代のバックグラウンドを活かしつつ、知識が不足している分野については日々学びながら業務に当たります。私は歴史学から保存科学に入り理系の勉強をしましたし、 反対に理系出身の人は文系の勉強をしながら仕事を進めています。知識だけでなく、文化財の制作技法や構成素材について検討したり、科学分析の結果についてディスカッションしたりと、専門家が集まってそれぞれの立場から意見を交換するコミュニケーションが欠かせません。
常に最善を考えて資料保存にあたる
── 膨大な資料はどのように受け入れられ、保存されるのでしょう。
日髙:世界中でフィールドワークを行っている当館の教員から、年間1,000点ほどの資料収集の企画が出されます。それらを当館で、保存、活用し、継承していけるのかをジャッジして、受け入れの可否を決定します。教員の意向を尊重し、できる限り受け入れたいのですが、長期間風雨にさらされていたものなどで傷みや老朽化が激しいものは、残念ながら見送る判断をせざるをえません。
受け入れを決定した資料は、破損、カビ、虫食いなどを確認して修復を施します。膠(にかわ)で接着するなどの簡単な修復や、カビの除去のようにスピードが求められるもの、二酸化炭素や高温・低温下による殺虫処理はみんぱく内部で行い、それ以外の複雑な作業等は専門施設に外注しています。
もうひとつみんぱく内での重要な仕事があります。海外から届いた資料は検疫を受けずに直接届くので、みんぱくが責任を持って燻蒸(くんじょう/化学薬剤による殺虫)を行い、外来種の虫などの侵入を防がなければなりません。当館では、かつては臭化メチルと酸化エチレンの混合ガスを用いていましたが、臭化メチルがオゾン層破壊物質として規制対象となったことや、処理の過程で廃棄物(使用後の臭化メチルを吸着させた活性炭)が大量に発生するため環境負荷が大きく、持続可能性という観点から現在ではガスで燃焼して処分できる酸化エチレン製剤のみを使用しています。
── 修復や保全の手法は今も進化しているのですね。
日髙:現代において、環境への配慮は非常に重要です。一つの保存方法に頼っていると、環境規制等で使えなくなったときに困ってしまうので、複数の手法について常に研究しています。
また技術の進化とは反対に、保存の方法は時代をさかのぼることもあります。例えば、破損部品をつなげるのに古くは伝統的な膠(にかわ)を使っていましたが、1970年代から80年代頃から合成樹脂を用いた手法に切り替わりました。しかし、一度接着したものが戻せないなど合成樹脂の欠点が明らかになり、30年ほどのちに再び膠を使うようになりました。もし、過去の修復方法が失われてしまったら、破損した文化財を元の姿に戻すことは二度とできません。私たち保存科学の研究者は、修復技術という文化を次世代へ継承する担い手でもあるのだと、使命感を持って日々の業務に取り組んでいます。
普段見ることのできない作業現場を見学!
── 以下、みんぱく様のご厚意で、特別に作業の様子を見学させていただきました! 作業中の研究員のみなさんにもお話を伺えました。
①灯籠のクリーニング
日髙:能登半島地震で割れてしまった灯籠を引き取り修復しています。まず付着した漆喰(壁などに使われる、石灰を主成分とする白い塗料)などの汚れをていねいに取り除き、さび止めを行います。クリーニングせずに上からさび止め材を塗ったとしても、見た目は元通りになるかもしれません。しかし、表面の汚損物質は劣化を引き起こす要因となります。クリーニングは修繕作業の基本とも言える、重要なステップです。
②沖縄の農具のレプリカ制作
日髙:触れられる展示として、沖縄の独特な農具(堀りへら)のレプリカを制作しています。これも私たちの仕事です。3Dプリンターで出力したものに着色して、より本物に近づけます。
八代研究員:本物に似せるには、いかに質感(色、ツヤ、素材感)を再現するかにかかっています。本物をよく観察して、同じ色を絵の具で作りだし、色の幅まで同じになるように細い筆でていねいに塗っていきます。約20年この仕事に携わっていますが、今ではもう、何を見ても色の組み合わせを考えてしまいます(笑)。
③顕微鏡で木材の品種鑑定
橋本研究員:樹種鑑定の権威である京都大学の木材を専門とする先生と一緒に、木材について知見を深めています。先生からサンプルを提供していただき、顕微鏡で拡大して繊維の形や方向から判定できるように特徴をとらえます。外部の専門家と手を取り合い、日々勉強を重ねるのもこの仕事の特徴です。
④からくり人形の3Dスキャニング
河村研究員:滋賀県大津市の祭りで使われているからくり人形をX線CTで3Dスキャニングして、どの部分がどのように壊れやすいかを調べています。結果を人形師にフィードバックして、より壊れにくい人形を復元するのに役立てられます。
── 立派な機器がそろっていますね。
日髙:X線CT、マイクロスコープ蛍光X線分析、ガスクロマトグラフィ、フーリエ変換赤外分光光度計(FTIR)など、資料の内外を調査するために必要な最低限の設備が整っています。みんぱくは大学共同利用機関でもあり、多くの方に活用してもらうのも大切な使命です。他の機関・外部の大学から依頼を受けて調査したり、機材をお貸ししたりすることもあり、得られた知見は学会や講演会で発表して還元します。
── 実際の作業を拝見して、先端科学と緻密な作業の積み上げで資料が保存・修復されていると知りました。せっかく修復した資料を展示して、また壊れてしまう心配はありませんか?
日髙:確かに保存だけを考えるなら、箱に入れて空気のない宇宙空間で保管するのが最適解でしょう。けれども、それでは文化財の持つ価値に誰も気づかず、廃棄されてしまうかもしれません。文化財は活用して、素晴らしさが理解されて初めて次世代への継承が叶うのです。私たちが行っているのは、保存のための保存ではなく、継承されるための保存と活用です。
災害多発国での文化財レスキューという仕事
── 日髙教授は被災地へ文化財レスキューにも向かわれるそうですね。
日髙:災害の多い日本は文化財防災の先進国です。特に東日本大震災では、日本のレスキュー体制が世界各国から注目を浴びました。関連する研究機関や大学、自治体などが組織の壁を取り払い、チームを組み文化財レスキューにあたります。被災した文化財を救出し、安全な場所に運んで、それ以上劣化しないよう応急処置を施します。負傷者と同じように、被災した文化財をレスキューするしくみが成立しているのです。
── 被災地での作業で大切なことは何でしょう。
日髙:かつて恩師に言われた「自分が怪我をすることだけはするな」という言葉を守っています。危険な場面では自分の安全が最優先です。「たとえ文化財であっても身を守るためには壊れても仕方がない。もし壊れても、治すのが僕らの仕事なので、また治せばいい」と。
能登半島の被災現場にも行き、 倒壊したお寺の中に入って文化財を引き出す作業をしました。大工さんに安全を確保してもらった上で入っていきますが、それでも完全に危険を拭うことはできません。まずは自分の身を守ることを最優先に、「これ以上もう踏み込まないようにしよう」と常に感覚を研ぎ澄まして判断しています。文化財の価値が分かるからこそ救い出したい気持ちも強いのですが、もし労働災害を起こしたら作業が中止になってしまいますから、文化財全体のためにも各自が身を守るのは大切なことなのです。
これからの「保存科学」の課題・展望について
── 今後の保存科学が取り組むべき課題はありますか?
日髙:まず、早急に取り組むべき課題として地球温暖化への対応が挙げられます。地球の平均気温が上がり、これまでは涼しかった寺の土蔵などでカビ発生の報告が届くようになりました。文化財が保存されている環境調査が必要だと考え、保存箱の中の温度と湿度をモニタリングするなどの基礎調査を開始しています。
根本的な保存科学のありかたも改善できればと考えています。例えば、「保存、予算、活用」という対立しがちな課題について、それぞれの価値観だけで物事を進めるのではなく、互いの置かれた立場を尊重して歩み寄って落とし所を探るといったていねいなコミュニケーションが必要です。他分野の研究者や地域の方なども一緒に議論できると、文化財にとってさらにふさわしい活路が拓けるのではないかと思います。
── 保存科学に興味を持つリケラボ読者もたくさんいると思います。改めて、この仕事に就くためには理系学生がどのように学べば良いのか教えてください。
日髙:間口が広いのが保存科学の良いところで、理系の分野だと物理系や分析系、生物系の方が多い印象です。このなかには、文化財害虫やカビの研究をしている方、遺伝子系から入ってくる方もたくさんいます。保存科学者はオールマイティーさが求められますから、就職してから実務を学びます。他分野に対しても興味関心を持ち、学習意欲が高い方に向いている仕事です。
苦手な学問があったとしても、まず話を聞くスタンスを持つことが大切です。そうしてその分野を見つめ直してみると、苦手だと思っていたことが意外と理解できることもあるでしょう。私自身、仕事を始めて理系の面白さを改めて知ることができました。保存科学の課題でも触れたように、自分以外の価値観を受け入れ、話を聞く。全てはそこから始まる学問のような気がします。
日髙真吾
国立民族学博物館 学術資源研究開発センター長・教授。元興寺文化財研究所研究員を経て、2002年より現職。博士(文学)。民俗文化財の保存修復方法や博物館における資料保存に関する研究をおこなう。近著に『継承される地域文化-災害復興から社会創発へ』(臨川書店 2021年)がある。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
国立民族学博物館
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