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食品や化学品の製造で使われ、洗濯洗剤など身近な日常の場面でも、化学反応を触媒するタンパク質「酵素」が活躍しています。有用な酵素を探索、開発することは、世界の産業を前進させ、社会課題を解決に導く可能性を秘めています。しかし、これまでの酵素探索や開発は、偶然に頼る部分が大きく、目的に合った酵素の遺伝子を見つけるまでには膨大な時間とコスト、そしてトライアンドエラーが必要でした。
この課題に対して、世の中に散在するさまざまなデータを活用し、独自のバイオインフォマティクス技術を用いて、より効率的な酵素探索、酵素開発を行うのが、東京工業大学(現:東京科学大学)発ベンチャーの株式会社digzymeです。2024年4月には7.3億円の資金調達を発表し、産業界、投資家からも熱い注目を集めています。
2019年、博士課程3年でdigzymeを共同創業した、代表取締役CEOの渡来直生さんに起業のきっかけや、新規酵素の探索やデザインを可能にする独自のバイオインフォマティクス技術、そして、世界を変える酵素技術の可能性についてお話を伺いました。
生命の謎をデータから明らかにしたい
──研究者になろうと思ったきっかけを教えてください。
小学生の頃から理科が好きで、資料集をずっと眺めていたり、中学の文集には「火星に行きたい」と書いたりするような子でした。バイオ系に進もうと思ったのは中学生の頃、ヒトやさまざまな生き物のゲノムが解読されていったことを知ったのがきっかけでした。幼少期からプログラミングをしたり、中学生でコンピュータ部に在籍しデータ解析をしたりするのが好きだったこともあり、「自分も遺伝子やゲノムを解読して、データから生命の謎を解き明かしたい」と思うようになりました。
──博士課程ではどのような研究をされたのですか?
博士課程の研究テーマは、「麹菌Aspergillus oryzae(以下A. oryzae)の進化と家畜化の関係」です。
A. oryzaeは、和食に欠かせない味噌や醤油の製造にも使われる身近な微生物ですが、実はまだ分からないことが多くあります。例えば、日本では、室町時代から全国各地の種麹屋さんでA. oryzaeが選抜・継代(家畜化)されてきましたが、それぞれの菌株の関係性は明らかになっていません。さらに、ごく近縁に猛毒を持つ種がいたり、そもそも麹菌が有性生殖をするのかどうかも長い間議論になっています。これらの謎を解明するために、多くの菌株を使った大規模比較ゲノム解析(DNAの全塩基配列を解析し、比較すること)を行う必要があると考え、全国6軒の種麹屋さんから、発酵特性が異なるA. oryzaeの82の単離株を譲っていただき、メタゲノム解析を行いました(プレスリリースはこちら)。
先行研究ではA. oryzaeの近縁種の系統解析は50株程度しか解析されていませんでしたが、そこに最終的には100近くのゲノム情報を追加し、ゲノムレベルの多様性を調査しました。解析の結果、全国の種麹屋さんが保有する菌株が、意外にもほとんど同じゲノム情報をもっている近縁種であることが分かりました。また、5万年ほど前にA. oryzaeと猛毒を持つ近縁種が別れて、自然界では有性生殖しているのですが、2000年ほど前、家畜化された株間では有性生殖が起きていないことがわかりました。ゲノムから生命の謎や歴史を解き明かせたのは、とてもおもしろい経験でした。
人類が積み重ねた膨大な「知」に感じたもったいなさ
──博士課程を通して、どのような気づきを得ましたか?
研究で得られた膨大なゲノム情報が、有用に使い切れていないということにもったいなさを持ちました。この研究により、人類が知っているA. oryzae近縁株のゲノム情報は約3倍に増え、そのうち90%くらいは分からない遺伝子でした。もしかしたらその中に重要な遺伝子情報が眠っているかもしれません。
ちょうどその頃、共同創業したメンバー(現CTO)の中村祐哉が博士論文で進めていたのが、digzymeのコア技術の元となる「酵素探索手法の開発」についてでした。企業の研究所から酵素探索の相談を受け行った研究です。化合物aをbにする反応を触媒するような新規酵素をバイオインフォマティクスを使って調べる方法を検討したところ、研究室の指導教官である山田拓司先生がライフワーク的に行っていた手法が上手く当てはまったんです。
自分たちの技術が社会で役に立てるんだ、という手ごたえを感じました。
研究室ではもっと高度な解析も行っていました。そういった自分たちの技術を、世の中のオープンデータに用いることで、産業界の困りごとを解決し、多様なニーズに応えられるかもしれないと感じ、起業を考えるようになりました。
──博士課程3年次での起業を後押ししたものは何ですか?
当初はアカデミックキャリアを進むか、産学連携に関連する職種で働くというイメージを持っていました。しかし、他大学のTLO(技術移転機関)でインターンシップをした際に、自分自身の起業のアイディアがあるなら、プレイヤーとして進めたほうがいいのでは、というアドバイスをいただいたことが起業の後押しとなりました。
また、研究を続けながら、腸内環境ベンチャーの株式会社メタジェンを起業した指導教官の山田先生の存在も大きいです。こうしたロールモデルが身近にあったので、研究と事業を両立することに関して抵抗はありませんでした。僕も学部4年生から、メタジェンでアルバイトをしていた際、一部の開発を担当していました。「研究するなら自分で稼げ」という先生の教えも心に残っています。
未来を作る新規酵素のデザインとは
──バイオインフォマティクスを用いた酵素開発方法について教えてください。
一般的には大きく2パターンに分かれており、1つが天然配列からのスクリーニングです。世界中の研究者によって発見された遺伝子情報は、オープンアクセスのデータベースに登録されます。このDNA情報のうち10%程度が酵素遺伝子の配列情報であり、そこから目的に合いそうな遺伝子配列情報を抽出します。元々生物が持つ遺伝子配列なので、多くはタンパク質として機能しますが、天然の酵素が産業用酵素として利用できるかというと、機能が不十分である場合が多いです。
もう1つの方法としては人工配列です。これは元になる酵素を改変して機能を向上させ、産業用酵素として用いる方法です。人工配列は特許として保護できるという利点もあります。
──digzymeはどういった方法で酵素探索を行っていますか?
酵素探索の情報解析プラットフォーム「digzyme Moonlight™」を開発し、上記の遺伝子データベースだけではなく酵素反応や、化学反応などさまざまなオープンデータを統合して、独自のバイオインフォマティクス手法を用いた解析を進めています。「どういう化合物から、何を作りたいか」というオーダーから酵素を絞り込むことができます。
具体的には、まずは酵素反応のデータベースから、目的の反応に近いものを、アルゴリズムを使って抽出します。次に、その反応を触媒する酵素の遺伝子情報に近い遺伝子を、遺伝子データベースから抽出します。オーダーの反応を触媒する可能性がある遺伝子群をざっくりと抽出することができるので、それぞれの遺伝子に対して、立体構造を推定したり、求める反応に適合するかどうかを分子シミュレーションするなど、解析を行い、酵素を絞り込んでいきます。digzymeではこの一連の解析をほとんどセミオートで進めることができます。
──酵素開発については、機械学習も利用されていると聞いています。
酵素開発の情報解析プラットフォーム「digzyme Spotlight™」では、機械学習による解析を行っています。酵素改変体のデータベースから求める反応を触媒する酵素を絞っていきます。他の研究者の方は、配列情報だけであったり、立体構造だけであったりと限られた情報を学習データとして扱う場合が多いのですが、digzymeではできる限り全てのデータを学習情報として扱ったモデルを作っています。このモデルを活用すると、ある酵素配列が与えられた時に、アミノ酸残基を変更すると活性がどのように変化するのかを予測することができます。
──膨大なデータから、人が規則性を見つけるのではなく、機械に見つけさせるのですね。
何万という母集団から、候補遺伝子を数百個程度抽出し、コンピュータの中でさまざまなシミュレーションの実験を行います。50程度の遺伝子まで絞り込んだら、実際に合成して実験を行い、反応性や安定性などを確認していきます。その結果、3割ぐらいが候補遺伝子として残るイメージです。
人間が知っていたり、理解できたりすることはまだ一部でしかないため、僕たちはデータに教えてもらおうと考えています。これは、山田先生からの教えでもあり、データ駆動(データドリブン)型研究と呼んでいます。
この考えはdigzymeのメッセージ「世界を変える酵素を迎えに行こう」にも通じています。バイオインフォマティクスを活用することで、世界を変える新規酵素との偶然の出会いを待つだけではなく、こちらから迎えに行くことができると考えています。
──WET(データ解析ではなくラボ実験)の研究はされていないのですか?
しています。酵素解析アルゴリズムを開発し、データ解析を行うなどDRYの結果を踏まえて酵素をデザインした後は、実際にその機能をWETの実験で検証しています。データ解析と実験による検証がシームレスに連携していることもdigzymeの強みだと考えています。
次の挑戦は、独自の高機能新規酵素ライブラリの開発
──これまで酵素探索と改変という2つの強力な情報解析プラットフォームを構築してきましたが、次の目標について教えてください。
僕たちが本気で世界を変えたいのであれば、クライアントの要望にあった酵素をデザインするだけではなく、僕たち自身が高機能な新規酵素をデザインして量産までを行う「酵素業界のプレーヤー」になる必要があると考えています。そこで、高機能な産業用酵素のライブラリ「digzyme Designed Library™」の開発をスタートさせました。
──具体的にはどのような用途の酵素ライブラリなのでしょうか。
まずは化学合成用や食品用などの用途でライブラリを作り始めています。
その1つが化学合成用のリパーゼです。リパーゼは脱水環境中ではエステルやアミドの結合や交換の触媒として働きます。データベース上には10万個程度のリパーゼの情報がありますが、市販品は十数種類しかありません。現在は酵素の特異性に合わせて工業プロセスを変化させていますが、酵素自体を細かく調整できれば、これまで課題だったことが実は簡単に解決できる可能性もあるんです。
また、食品に使用する酵素は生物種や酵素種まで決まっているので、細かいオーダーに対応した酵素開発や、副反応物が出にくい酵素開発などを考えています。他にも、健康機能を持つ食品開発に、酵素が貢献できることは多いと思います。例えば、グルコースから成る多糖類にデンプンや食物繊維があります。摂取した際に前者はカロリーになりますが、後者は消化されず、有害な物質を吸着して体外に排出させるという健康機能を持ちます。こうした違いは、グルコースの結合反応を触媒する酵素により生じます。
──まさに「酵素デザイン技術で、世界を変える」ための事業が始まったのですね。
酵素はさまざまな業界で利用できますが、digzymeはまずは食品と環境エネルギー問題を解決していきたいと考えています。食品事業に関しては、健康寿命を伸ばす食品素材などを作るための酵素を開発することです。5年後くらいにはこういった酵素が商品化されている状態を目指しています。
また、環境事業に関しては、人間の経済活動が原因で、環境悪化が問題視されています。環境負荷の大きなケミカルファウンドリではなく、持続可能性のあるバイオファウンドリの整備が各国で進んでいますが、僕たちの目標もそれに違わないものだと考えています。10年後はバイオファウンドリを構築するさまざまな分野の技術開発が整ってくると考えています。その時、僕たちは酵素開発という分野で存在感を出せればと考えています。
研究者であり続けることの重要性
──CEOのやりがいや苦労について教えてください。
CEOは会社の状態を正しく理解して、足りない部分に対して手を打っていく仕事だと感じています。
社内外のさまざまな意見をまとめてアクションに落としていくのは、難しい場面も多いですが、自分のビジョンを自分の手で実現できることは大きなやりがいです。
──渡来さんが事業と研究を進めていく際に心の支えにしていることはありますか?起業を志す研究者へのメッセージをお願いします。
digzymeは多くの優秀なメンバーの元で成り立っていますが、こうした仲間たちがどうして集まってくれるのかというと、僕自身が「研究者であること」を大事にしているからではないかと感じています。
起業をして思ったことは、会社の運営は研究ではないということです。企業である以上は事業を行い、収益をあげる必要があり、しかも、それが絶対条件です。収益を確保するために、本来の研究の背景や目的を見失いそうになることもあると思いますが、それでは本末転倒です。起業の際に自分で掲げた目的やビジョンは、研究者の状態であってこそ抱き続けられるものだと思います。ですので、起業を志すのであれば「研究者であり続けること」を大事にしてほしいと考えています。
渡来 直生(わたらい なおき)
2019年、東京工業大学博士課程3年在学中にdigzymeを共同創業、代表取締役に就任。2020年博士号取得。東工大の学部時代は研究室所属前に国際合成生物大会iGEMにて金賞・Information Processing部門賞受賞。大学院では大規模メタゲノム・シングルゲノム解析、進化解析、シミュレーションなど複数テーマと、腸内細菌ベンチャーで創業期の開発を経験。
(※所属や肩書などはすべて掲載当時の情報です。)
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