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「子どもたちを心臓の再手術から救いたい」――。思いを叶えるために根本教授が採ったユーザーイノベーション戦略

「子どもたちを心臓の再手術から救いたい」――。思いを叶えるために根本教授が採ったユーザーイノベーション戦略

心・血管修復パッチ「シンフォリウム®」開発のキーマンに聞く「医師にしかできないサイエンス」とは

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2024年6月12日、心・血管修復パッチ「シンフォリウム®」が販売開始されました。これは先天性心疾患の患者さんの課題解決のために、大阪医科薬科大学、福井経編興業株式会社、帝人株式会社の3者が協力し、10年以上の歳月をかけて開発した製品です。

開発をリードしたのは、大阪医科薬科大学胸部外科学教室の根本慎太郎教授です。先天性心疾患を持って生まれてくる子どもたちには手術が必要となります。それだけでも大変なのに、成長に伴い手術に使った医療用パッチを取り替えるための再手術が必要となることが少なくない……。子どもに負担のかかる状況を何としてでも改善したい。強い思いに駆られた根本教授は、まわりを巻き込みながら課題解決につながる製品開発に取り組み、遂に実用化にこぎつけました。

話を聴いた小説家は、直ちにプロット制作に動いた

── 「シンフォリウム®」の開発プロセスは、池井戸潤さんの小説『下町ロケット ガウディ計画』のモチーフになったと聞きました。

根本:共同開発に取り組んでくれた福井経編興業の当時の専務の紹介で、池井戸さんと出会い私たちが始めた開発プロジェクトについてお話ししました。取材に来られた際に開発の意義についてご理解いただけるように心臓手術も見学してもらいました。後から聞いた話では「見学が終わった時点ですでに小説の構想ができていた。取材時に聴いた内容と手術を見て、それぐらい強いインパクト受けた」そうです。だから取材後にご一緒した食事もそこそこに済ませ、すぐにでもホテルに引き上げて構想をまとめたかったのだと。その1カ月後ぐらいに、大量の原稿が送られてきて医療監修をしてほしいと頼まれました。とにかく早く小説を書きあげて世に出さなければならない、そんな思いに突き動かされたそうです。

── 何が池井戸さんをそこまで駆り立てたのでしょう。

根本:私の話した内容は、心・血管修復パッチを開発する意義と開発プロセスです。先天性心疾患を抱えて生まれてくる子どもは、新生児や乳児の段階で心臓手術を受けなければなりません。それだけでも本人はもちろんご家族もしんどい思いを免れない。にもかかわらず、現在使えるパッチだと子どもが成長した段階で交換することも少なくない、つまり心臓の再手術が必要となるのです。子どもの頃に二度も心臓手術を受けるのは、本人はいうまでもなく、ご家族にも大きな負担となります。この問題を何とか解決したいと思い、具体的にどのように活動してきたのか、そして上市までは規制制度的、人的、そして金銭的な障壁が多く立ちはだかっていることも池井戸さんに話しました。おそらくは実際に手術に携わっている外科医の私だからこそ話せた、肌身で感じていた問題意識が伝わったのでしょう。課題解決のためにアイデアを考え、それを実現するためにもがいていた私や企業に興味を持ってくださったのだと思います。

── 心・血管修復パッチのアイデアは、早くから思いついていたのですか。

根本:先天性心疾患では、肺動脈への血管や弁が狭くなって心臓の血液循環が滞っているケースが多くみられます。そのため血管の狭い部分を切り開き、そこに修復パッチを当てて広げるのですが、問題は、このパッチの材料です。現在使われている材料は、ウシの心膜など生物由来のものか、衣類に使われる化学工業製品です。ところが人工素材が赤ちゃんの成長に伴って成長するはずもなく、特にウシ由来のものは時間経過とともに劣化して固く縮こまってしまいます。そのため、どこかで交換する再手術をしなければならない。この問題を避けるためには、自分の組織に置き換わって子どもの成長に合わせてパッチも伸張すれば良いのではないか。それまでの既製品の経験や様々な研究データを分析しながらこんなアイデアを思いついたのが2013年でした。もっとも、正直なところ途方もないアイデアであるのは自覚していたし、そんなアイデアをどうすれば製品化できるのかなど皆目見当もつきませんでしたが。

リケラボ編集部撮影

徹底したゴールオリエンテッドでプロジェクトを推進

── 製品化は、大学だけで実現できる課題ではないですね。

根本:もちろんです。研究レベルであれば、アイデアを吟味し動物実験などで成果を確かめ、データをまとめて論文発表すれば一件落着です。たまたま論文を目にした企業が、製品化を考えてくれるケースもあります。けれども、そんな偶然に頼るつもりはまったくなかった。何としてでも製品化し、一刻も早く一人でも多くの子どもと家族を救いたいのです。だから最初から製品化するためのプロセスをひたすら勉強して考えました。

医療品として活用するためには最終的に工業製品として展開しなければならず、そのためには大企業の力を借りる必要があります。となるとその前段階の試作品で、大企業を納得させられるだけのモノをつくらなければならない。もちろん医療に使うのだから、国の厳しい基準をクリアできるモノです。誰かが先頭に立って、全力で引っ張っていかなければ誰も動いてはくれないでしょう。だから自分がゴールを見据えて突っ走るしかないと覚悟を決めたのです。

── 最初から福井経編興業に話を持ちかけたのですか。

根本:同社と出会うまでに十数社の繊維メーカーの企業に手当たり次第に連絡しました。毎度手術が終わると、繊維メーカーの集積地にある企業をリストアップして、片っ端からメールを送りました。福井、和歌山、南大阪、愛媛そして京都の西陣織の産地などにもコンタクトしたものの、ほとんど返事がない。ウェブサイトのお問い合わせメールではだめだと思い電話もかけましたが、どこも相手にしてくれない中で2013年、福井経編興業だけが大学のある高槻まで話を聞きに来てくれたのです。もっとも同社も乗り気だったのは当時の専務さんだけで、技術担当はできないと考えていたようです。

── 協力企業が見つかり、プロジェクトが動き始めた?

根本:ちょうどその頃、大企業にも片っ端から断られていた中で福井経編興業を通じて帝人を紹介してもらえて、プロジェクトの役者がそろいました。時期を同じくして大学の産学官連携推進のために増強したスタッフが、経済産業省やAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)との交渉をコーディネイトしてくれました。三者で応募した「医工連携事業化推進事業」に採択されてプロジェクトが大きく動き出し、大型の補助金を獲得できたのが大きかった。この間に福井経編興業とは打ち合わせと試作を何度も繰り返しました。おかげで赤ちゃんの成長とともに伸張していき、最終的に構成するコーティングと生体吸収性ポリマー糸が、子どもの自己組織に置き換わるような膜、つまりパッチの素材開発にこぎつけられたのです。

── 帝人クラスの企業を動かすためには、事業性が厳しく問われたのではないでしょうか。

根本:そのとおりです。心・血管修復パッチを世に出すためにはクラス4、すなわち生命の危険に直結する高度管理医療機器の製造と販売に関する承認を得なければなりません。臨床試験(治験)が必要です。これには第一種医療機器製造販売業許可を持つ、帝人のような企業の参加が必須となります。ただ帝人も医薬品は扱っていますが、埋込み医療機器に取り組むのは初めてです。しかも、そもそも小児の医療機器マーケットは市場規模が大きくありません。帝人クラスの企業になると投資対効果が厳しく問われる、つまり事業となる出口戦略をしっかり見据えなければならない。

だからマーケットとして日本国内だけではなく、最初から世界に目を向けていました。アメリカのマーケットは日本の10倍、ヨーロッパは7倍あります。しかも入口は先天性心疾患だけれども、開発するパッチはほかの心臓疾患の医療機器にも応用が効く。当初は子ども用とはいえ、いずれ大人もターゲットに入ってきます。そんな話を帝人のスタッフとしながら戦略を固めていきました。論文より先に特許戦略を固め、国内よりも海外で行われる学会で積極的に発表するよう心がけてもいました。

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※シンフォリム
画像提供:根本教授

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※シンフォリム埋植後の経過
画像提供:帝人株式会社

常に走りながら戦略思考を実践する

── 医療の世界だけでなくビジネス領域まで考えながら動いていますが、なぜ、そんな動きができたのでしょうか。

根本:アメリカで研究していたとき、ボスにいわれました。「慎太郎は外科医だからこそ、心臓を手に取る資格とチャンスを持っているんだ。だったら、そんな外科医にしかできないサイエンスをやれ。ぜひともアカデミックサージャン(Academic surgeon:臨床、研究、教育を行う外科医)をめざせ」と。つまり臨床に携わる外科医ならではのサイエンスに取り組み、その成果を広く役立てろとのことです。しばらくは具体的になにをすれば良いかの模索が続いてました。キャリアが進むうち、自分が手術で使っていながら、明らかに改善余地のある医療用パッチを何とかしなければならない。改善したものを世の中に提供しなければならない。そのためにはどうすればよいかと考えていきました。これがアカデミックサージャンの答えでは、と思考を深め、さらに広げていけば自ずと道は見えてくるものですね。もちろん自分ひとりでは何もできませんから、いかにして周りの人の協力を得るのかも欠かせないポイントです。さらに最初から「自分の作りたいものを作るのではなく、世の中に必要とされるものを作る」視点を大切にしたのも、プロジェクトを推進する力になりました。

── 福井経編興業と帝人、企業と連携して進める作業には、普段の治療や研究とは別次元の大変さがあったと思いますが……。

根本:だからこそ、まず自分から動くよう心がけました。福井経編興業の技術者とは試作品を一緒に手にしながら、どうすればより良い物になるか検討する。生体吸収性ポリマー糸と非吸収性ポリマー糸を組み合わせて編んだ布を、生体吸収性素材のコーティングと合わせる。文章にすればこれだけの内容を、実際にモノとしてつくり上げるのは、決して簡単な作業ではありません。技術者も最初はできないのではと疑心暗鬼だったのです。それでも現場で試作品を挟んで話し合いを重ねるうちに、お互いに「できる」と確信を持てるようになりました。

帝人にしても最初は様子見だったと思いますが、開発部門に加え経営幹部も関わり、製造・品質管理、知財、規制関連のスタッフも最初から集まってくれて戦略構築から推進の大きな力となりました。経済産業省や厚生労働省にも足繁く通いました。コロナ禍の前ですから、今のようなオンラインでの打合せではなく、たとえ30分だけのために霞が関まで出向かなければなりません。けれども結果的にそうやって自分が動いたからこそ、大学や病院に籠もっているだけではわからない戦略推進のポイントや医療機器に関する規制なども理解できたのだと思います。

── 実際に設計や非臨床試験がスタートしたのは2015年からですね。

根本:2014年に当時の経産省から「医工連携事業化推進事業」に採択され、続いて2017年にAMEDの「医工連携事業化推進事業」に採択されました。この間に福井経編興業にはクリーンルームを設置してもらい、繊維業界で日本初となるISO13485(医療機器産業に特化した品質マネジメントシステムに関する国際規格)も取得しています。その後2018年に当時の「先駆け審査指定制度(現・先駆的医薬品等指定制度)」に指定されて治験計画を立て、2019年5月から治験を始めています。この間に医療機器に関する規制なども、プロジェクトを動かしながら学びました。治験に入るための安全性を担保するGLP試験、製造品質保証のためのQMS(Quality Management System:品質管理監督システム)への対応、もちろんISOも含めてです。

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画像提供:帝人株式会社

出口戦略を考えて社会実装をめざす

── 特許取得などは、どのように進められたのですか。

根本:革新的な技術だけに知財の確保にはしっかりと配慮しました。論文発表の前段階で特許を申請しました。続く治験については、日本小児循環器学会の治験推進協力を得て、日本を代表する複数の病院で行い、2020年に終了しています。この間に海外の学会に積極的に参加して、成果を発表していました。おかげでアメリカでの製造販売承認獲得にむけてFDA(Food and Drug Administration:アメリカ食品医薬品局)との正式な話し合いが始まっていて、2024年12月には第2回の打合せを行います。さらに10月にシカゴで行われる小児の心臓外科医だけが集まる会合での発表も予定されています。実際にアメリカで展開するとなると、保険システムをはじめとして販売体制やロジスティックスの構築などさまざまな課題を解決していかなければなりません。これについては帝人の力が頼りになります。

リケラボ編集部撮影

── 次のステップについては、どのように考えているのでしょう。

根本:もともとは心臓の人工弁をつくりたかったのです。とはいえ心臓の弁は"動く"立体的な造形物ですから、医療機器として開発するためには単なるパッチよりも多くの条件をクリアしなければなりません。どこからスタートすればよいのかとブレイクダウンした結果、まず1枚の布であるパッチの開発から始めたのです。すでに"シンフォリウム®"を応用する人工弁の開発には取り組み始めていて、その先には成人用の製品開発を見据えています。いずれも国内だけではなく世界展開を視野に入れています。最初の段階でそこまでの目標を設定しているので、帝人も新たに製造工場を立ち上げたり、海外部門を動かしてくれたりしたのです。

── 2024年6月の販売開始までのプロセスは、ほぼ予定通りだったのですか。

根本:2014年にプロジェクトを開始した時点で、ゴールがいつになるのかなどまったく見通せていませんでした。けれども、最初から「つくりたいもの」をつくるのではなく、「世の中に必要なもの」をつくろうと考えていたので、ゴールから見た計画に沿って比較的スムーズに進められたのだと思います。そもそも外科医は患者さんを治すために生きているわけですから、その外科医がやるべき研究は何かと考えれば、自ずと答えは出てきます。

よくR&Dといわれて、研究者はResearchに集中すれば良いと思われがちですが、少なくとも臨床に携わる外科医であれば、Developmentまでを見据えたResearchでなければ意味がありません。私の生涯をかけたテーマは「命を救う」ですから、パッチから弁へ、さらに子どもから大人へと展開し始めた現在はようやく「第二章」が始まった段階です。

── 医学の世界で研究者をめざす人たちには、何を望まれますか。

根本:"医師が行う"医学研究に携わるのであれば、最終的には社会実装を視野に入れてほしい。とはいえ、それが必ずしも薬や医療機器でなくてもよいのです。ただし常に出口戦略、つまりどのような患者さんをどうやって救うのかだけは常に意識していてほしい。研究成果を論文として発表するだけではなく、社会全体に問う姿勢を大切にしてください。同時に私たちのような臨床研究者は、常に基礎研究者をとても頼りにしています。地道な基礎研究の積み重ねの上に臨床研究があるのです。医療に関わる研究は、人の命につながっています。この大前提をいつも忘れないようにしてください。

リケラボ編集部撮影

根本 慎太郎(ねもと しんたろう)

1989年、新潟大学医学部卒業後、東京女子医科大学付属日本心臓血圧研究所外科を経て、米・サウスカロライナ医科大学および米・テキサス州ベイラー医科大学で実験研究に従事。メルボルン王立小児病院心臓外科上級外科フェローとしてトレーニングを重ね、マレーシア国立心臓病センター心臓血管胸部外科上級外科医を経て帰国。博士(医学)。 2006年、大阪医科大学(当時)外科学講座胸部外科学教室助手、同講師、准教授を経て2014年より現職。複雑心奇形などの難手術をこれまでに数多くこなし、先天性心疾患をもつ多くの幼い命を救ってきた。
(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)

リケラボ編集部

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