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河川や沼、水たまりに生息する生物に、ゾウリムシやテトラヒメナといった繊毛虫と呼ばれる微生物がいます。環境中の有機物を食べて水をきれいに保ったり、魚のエサになったりすることで生態系を維持するなど、私たち人間の生活にも少なからず関わっている存在です。
不思議なことにこれらの微生物は、常に流れのある河川や、大雨が降るとあふれてしまうような場所でも、すべてが流され、いなくなるということはありません。か弱い小さな生き物たちがその場所で生き残る事実に、何か秘密の仕掛けがあるのでしょうか?
その謎を流体力学的観点から解き明かしたのが、京都大学理学研究科の市川正敏講師です。
流体力学?生き物の動きの研究は、生物学じゃないの?と思った人はいませんか?どうして物理の先生が生き物の研究なのか。高校時代、生き物が好きで、かつ数学も物理も好きだった市川先生の説明は明快、かつ遊び心が満載。これを読めば物理に苦手意識をもっている人も、勉強する意欲がわいてくるかもしれません!?
未解明だったテトラヒメナの“動き”の秘密に着目
──「泳ぐ微生物が海まで流されない理由」という研究のタイトルを拝見して興味を持ったのですが、生物かと思いきや、物理分野のお話なのですね。
微生物というと生物学の世界のものだけと思われがちですが、その“動き”については、私がやっている物理の分野でも注目されてきています。生き物らしさとは何かとなったときに、「自律性」というのがひとつ大きなキーワードだと思うのですが、流体力学を微生物に適用してみるという研究は、この5年から10年で大きな発展を見せています。
── 物理、さらに流体力学となると、興味はあってもすごく難しそうな印象です…。生き物は大好きなのですけど。
僕も生き物が大好きです。数学や物理はもちろん好きですが、それと同じくらい生き物が好きで高2の時は生物学部が第一志望でした。
── 大学での最初の専攻は生物だったのですか?
3年生でオープンラボで見学したのですが、ちょっと合わないかもと思って生物には進まず物理、それもコテコテの物理をやりました。卒業後は液晶の研究などにも携わっています。でも生き物はずっと好きだったので、化学や物理で生き物にかかわれるものはないかな、とずっと思っていたんです。
── 生き物を物理学的に研究するなんて、正直考えたこともなかったです(汗)
生き物とそうでないもの、動いているという状況は両者とも同じです。だから生き物の動きも物理で解き明かすことができるんですよ。
例えば、半導体製造の過程で使われる非常に純度の高い水(超純水)があります。ただの水なので、当然生き物ではありません。ですが、油と界面活性剤をミックスした液体の中にたらすとまるで生きているかようにランダムに動きだします。「勝手に動く」ということに着目すると、水滴も微生物も使っている物理に違いはありません。
── テトラヒメナって、名前がかわいいですが、どんな生物なのでしょうか。
川や池など淡水域にいる単細胞生物で、体を細い毛で覆われた繊毛虫の一種です。大きさは30〜100μmほど。皆さんもご存じのゾウリムシも繊毛虫です。テトラヒメナは水中生物の分野ではポピュラーな生物で、これを実験材料として使った研究にノーベル賞が2つも出ています。
── すごく身近な生物なんですね。
虫眼鏡と少しの経験さえあれば、近くの川や湖で観察することができますよ。テトラヒメナはだいたい100年ほど前から研究が行われてきて、最近はゲノム解析も進み、生物としてはだいたい解明されています。今回の我々の研究は、これまであまり目が向けられていなかったテトラヒメナの“動きのメカニズム”について調べたものとなります。
大学院生が考えた実験が出発点
── 研究のきっかけは何だったのでしょうか?
あるとき、学部3年生のための演習として、研究室で培養していたテトラヒメナを、マイクロ流体デバイス(※)に流して遊んだことが出発点です。微生物が流れる場面を見たら、学部生が面白がってくれるんじゃないかと、当時大学院生だった大村さんと研究員だった西上さんが提案してくれた実験でした。
やってみると、予想外の動きが見られました。すべてのテトラヒメナが下流に流されてしまうと予測していたのですが、その場にとどまったり、流れに逆らったりする個体が見られたんです。「面白いね、どうしてなのか解明できたら論文になりそうだね」となって、そこから再実験やシミュレーションを繰り返し、大村さんが論文として形にしてくれました。
※マイクロ流体デバイス…樹脂やガラスの基盤に、微細流路や反応容器等を形成したもの。
マイクロ流体デバイスについては、過去記事を参照ください。
テトラヒメナは壁が好き?物理モデルや流体力学シミュレーションで動きを解明
── ちょっとした遊び心から面白い研究テーマが生まれたのですね!研究の内容をもう少し詳しく教えていただけますか?
最初に注目したのは「なぜテトラヒメナは壁に集まるのか」ということでした。テトラヒメナは水中を泳ぎまわる遊泳微生物ですが、「壁」つまり池の底や石、葉っぱの表面など、個体と液体の境界に多くいます。また観察すると、壁の近くにいる個体はいずれも上流に向かおうとしていました。そこで、まずはテトラヒメナが壁を検知する原理、そして壁についてからどのような運動をしているかについて調べていきました。
── 壁好きの理由が、生態なのか、それとも構造的な仕組みによるものなのかというところですね。
そうですね。壁にエサの有機物が多いから、という説もありました。でも有機物のないスライドガラス上で実験しても、壁に居つくので、この仮説は違うといえます。
観察の結果わかったことは、テトラヒメナが壁に衝突した際、上半身の横を壁に押し付けスライドするように動く性質を持っているということでした。テトラヒメナはタンパク質と膜でできた繊毛を動かして前進しますが、スライドしているときには壁の側の繊毛だけが動きに不自由している事が観察から分かりました。
── なるほど、プールの端だと平泳ぎが泳ぎにくい感じなんですね。
そうです。壁から離れている個体は遠くに泳いで行ってしまいますが、壁の近くで泳ぎに不自由している個体は壁に居つくのです。
── 壁付近の個体の「スライドするような動き」はどのようにして起こるのでしょう?
特殊な顕微鏡で観察したところ、壁と接している部分の繊毛はうまく推進力を生み出せていないことが分かりました。つまり壁付近のテトラヒメナの体の周りの推進力は非対称なのです。
推進力の非対称が特徴的な行動の原因では?と仮説を立て、流体シミュレーションで検証しました。実験結果を取り入れた物理モデルで計算してみたところ、壁に居つくことやスライド運動を再現することができました。
── 実際に観察した結果を、計算(シミュレーション)によってさらに検証するのですね。
はい。テトラヒメナは壁を好んでいたわけではなく、何も考えなくても、壁にぶつかった時の繊毛の自動的な応答で、そこにいついてしまっていただけだったのです。
なぜテトラヒメナは流れに逆らう?
── 次の疑問ですが、上流にだけ進むのは、どうしてなのですか?
テトラヒメナの形がそうさせています。テトラヒメナは回転楕円体(※)なのですが、回転楕円体は流れの速度が違う場所に置かれると複雑な動きをします。マイクロ流体デバイスの中で流れの強さを変えて観察してみました。流れがないときは動きがランダムですが、流れが強くなるにつれて壁付近の個体は明確に上流に向かうようになりました。そしてこの動きは、球体では起こらないのです。
※回転楕円体…楕円を軸の周りに回転させた時にできる立体
── テトラヒメナが壁に集まる理由、そしてスライディングしながら上流に向かう理由はすべて流体シミュレーションでも同じ結果が得られたと…。ということは、テトラヒメナの生き物としての動きではなく、形や流れというたった2つの物理的な理由だったといえますね!
身近な生活用品から高度医療まで、応用先は多彩
── それにしても、実際の生き物の観察結果をもとに、コンピュータシミュレーションでいろいろな機構を解明していくのって、面白いですね。
そう思ってもらえたら嬉しいです。繊毛中は淡水のあらゆる所に住んでいますので、今回の研究結果をもとに、さらに計算を重ねれば、生息分布もわかるようになると考えています。微生物が環境に与える影響って大きいですから、気候変動といった地球環境の変化を予測するにも活用できると考えています。
── 生き物を物理学で考える研究って、大切なんですね・・・・・・。
そのほかにもいろいろな応用が考えられますよ。例えば、生活排水の中にもさまざまな微生物が存在しますので、詰まりにくいパイプのシミュレーションにもこの知見が生かせると思います。あるいは、血管の中を走らせるマイクロマシーンの開発とか…、今回のテトラヒメノの研究でわかった「自分で泳ぐ物体の物理」を応用できるものはたくさんあると思います。
── 流体力学や物理を勉強したら、自分でも何か画期的な発明ができそうな気がしてきました!
流体力学が身近で活用されている例はとても多いです。最初にお話しした、勝手に動く液滴の話ですが、これはマランゴニ対流(マランゴニ効果とも)といって、場所によって表面張力が異なることで発生します。とあるトイレの洗浄剤はこの物理現象を利用していて、水を流したときの表面張力の高い水と表面張力の低い洗浄成分によるマランゴニ効果で、洗剤が自ら広がっていきます。自動車のフロントガラスの水滴の流れも、水滴の形の対称性が破れると動きやすくなります。
自分が分野を作るんだという気概で、実力をしっかり身につけて
── 先生にとって研究の楽しさとはどんなところですか?
単純に知的好奇心を満たすのが楽しいですね。特に細胞や微生物だと、自分で勝手に動いていたり、集団的な動きをしていたり、見ていて飽きないです。海の寄せては返す波を見ていても飽きません。どうして動いているんだろう、と物理や流体力学で解き明かしたくなります。
── 純粋な興味が探究心になっているのですね。
もちろん、証明のためのテクニカルなところはきちんとやらないと、体系的な研究にはなりません。50年前と違って流体力学への理解が研究分野全体で深まっているので、他の研究者に納得してもらえるよう、しっかりした理論やモデルを使い、メカニズムと根拠を示す必要がありますが、それに加えてどんなストーリーを作るかも面白いところです。
── 最後に理系学生に向けてメッセージをお願いします。
これから分野を定めようという人には、今存在しているメジャーな分野だけを対象にするのではなく、自分で新しい分野を作っていこうとか、自分が研究者になれる段階にきたとき、「新しい分野に飛び込むぞ」という気概や幅広いバックグラウンド、つまり“実力”を蓄えていって欲しいと思います。数学や物理、化学、生物といった基礎科学をしっかり自分のものとして身につければ、そこから新しい分野に飛び込む実力がつきます。そしてそういう人が増えることで、新しい研究分野が立ち上がったり、またそこが盛り上がったりといったことが活発になります。そういう未来になるといいなと思っています。
── 実力をつけて分野を盛り上げ、また新しい分野を生むきっかけになる…、すごくやる気のわいてくるメッセージです。力強いお言葉、ありがとうございます!
市川 正敏(いちかわ まさとし)
生物物理や化学物理、ソフトマターの物理を専門とし、2009年より京都大学で講師を務める。博士(理学)。学生時代は生物にも興味を持っており、物理学的手法で生き物のさまざまなことを解明する研究室に進む。液晶の物理、高分子の物性の研究等、生物以外のものも対象にしてきたが、近年はテトラヒメナ等、生物分野に強い関心を持っている。(※所属などはすべて掲載当時の情報です。)
研究室HP:http://www.chem.scphys.kyoto-u.ac.jp/
雑誌名: Science Advances
論文名: Near-wall rheotaxis of the ciliate Tetrahymena induced by the kinesthetic sensing of cilia.
(繊毛虫テトラヒメナの壁付近での走流性は繊毛による機械刺激の受容による)
著者: T. Ohmura, Y. Nishigami, A. Taniguchi, S. Nonaka, T. Ishikawa, M. Ichikawa
掲載日:2021年10月20日
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